2018/10 公式サイトオープン!
神々の破滅(ラグナロク)が異世界を救う!? 8/11
戦闘後、敗北を帰したイルクナーたちは、意気消沈としていた。ファラナらは彼らに容赦はかけず、ヒラヌは蛇に睨まれた蛙のように大人しくしている四人を、飼い犬に首輪を取り付けるように、ルーン文字が刻まれた特注の縄を手足首にきつく縛る。
魔法の使用すら封じる縄で、四人の身動きを完全に封じた。縛り終えると、クレキと言葉を交わすや、三人ともいなくなる。
彼らを監視するよりも、誰かに見られる心配があり、ヒラヌとファラナはイルクナーたちを隠しながら運ぶための荷馬車の手配に、クレキは辺りに人がこないか注視するに至ったのだ。
彼らが慎重になるのはこんな理由がある。ドルイド教会の少なくとも戦士たちは皆、何事もなくカジールの説得に応じたかのように見せたい。
そのため争った痕跡を見られたくないのだ。そういった演出がはまれば、民はおろか王都の騎士も戦意がそがれるだろうとの作戦だった。
王都が今現在、平穏であろうがカジールの手によって落ちていようがだ。ただ本当に、カジール側についてくれるなら、尚のこといい。
一枚岩になるのが理想だ。だが、そう都合よくはいかないだろうと思うクレキは、ナーバスな顔つきのまま動き出す。
人が来そうな場所に目星をつけ、きびきびとした足取りで立ち去った。
「あーあ、ホントにいなくなっちゃったよ」
ビアンカは捕まっている感覚がまるでないかのように、のん気にお喋りを始める。
「無用心だこと。でも、そのお陰でできることもあるし」
自由の利かない身でありながら、まるで芋虫のように身をよじりイルクナーの傍まで寄った。
「ほら、こうやってくっつかっていれば、安心でしょ」
「どうゆうこと?」
そういいながら、豊かな胸が腕に押し付けられ、赤面する自分を必死に隠そうとしていた。一方、エリアンとサルミは二人のやりとりに、苦笑するしかなかった。
サルミに関して言えば、特にビアンカに対して、呆れていたといった方が正しかったかもしれない。それでも生真面目な性格から、礼節をもって接してくる。
「このような事態を招いたのはわたしの責任でもあります。なんてお詫びをいったらいいのか------」
「いや、来てくれただけでも。むしろ、俺がしっかりしてなきゃいけなかったんだよ」
「いえ、現にわたしたちは、足手まといになったわけですし」
「そんなに自分に厳しくしなくても」
「ですが、わたしたちが捕まり、ニーサさんたちもとなると事態は深刻ですし」
サルミは自分が至らなかったせいだと強く嫌悪していて、どこかしゅんとなっていた。
「この縄さえ解ければ、自由になれるんだけど------。さすがにお手上げだわ」
「みんなもっと前向きになろうよ。そんな暗い顔してちゃ駄目だぜ」
エリアンがいうなり、ビアンカとサルミの目はぎろりとした。
「「誰のせいだと思ってんのよ!」」
一斉に罵声を浴びせる二人の目つきは、これでもかというくらい釣りあがっていた。
もし手足が縛られていなかったら、鈍器で殴っていたかのような迫力だ。イルクナーはその場を諫めようとする。
「判断したのは俺だし、エリアンは悪くないよ」
「イルクナー優しー」
そういいながら、どさくさに紛れて体ごとすりすりしている。
「やっぱし術者に選んで正解」
意味深な言葉に、三人は思わず目を丸くしていたが、ビアンカは全く察しない。が、一時の間を置くと沈黙の続く場から、特にイルクナーが自分に注視する眼差しに気付く。
「そういえばまだ話してなかったね」
ビアンカは、イルクナーに体を預けてることに満足そうにしながら、おもむろに話し出した。
{銀翼の水晶(ラグナロク)}の番人であり、常若の地(ディルナノグ)の住人。更には、ドルイド魔道僧の選定人であると説明した後、イルクナーの原因不明の解明に来たとも言い添える。
世界崩壊時の生き残りである下りでは、自慢げに話していた。エリアンはとりわけ、眉を潜めながらも、古代種といういわば異人種に興味を惹かれていた。
「この世界以外にも別世界があるなんて面白いぜ。それにしてもこのスターがドルイドに選ばれたってことは、やっぱり何か持ってるってことか。
宿命とはいえ大変だ」
涼しげな顔つきを見せ、鼻で少し笑う演出までした。ビアンカはエリアンの性格に慣れてきたのか、聞いていなかったかのようにさらりと流す。
「てなわけで、一時イルクナーのお目付け役になるからね。その変わり、あなたたちの司教様は預からせてもらったから」
一同なんでといった表情になった途端、ビアンカは全員にわかるように人差し指を立てた。
「そうね、言い換えればビアンカの話を聞いてもらうためかな。でも安心してね。
イルクナーや他に問題がなくなれば返すから。あ、わたしだけど、残って欲しいってイルクナーが頼むんなら留まる!」
上目遣いをしながら、話を続ける。
「むしろ勝手に残っちゃおうかなあ。えーっと話は逸れたけど、わたしの見立てではイルクナーの問題は解決しかかってるんじゃないかな」
「さっきの戦いでわかったのか?」
「そう。わたしはともかく、相手の子も予想外の出来事が起こったのは、あれイルクナーの夢想術じゃなくて?」
「まあ、そうだね。だけど最初意識もほとんどなくて、制御できなかったけど」
「最後の方はコツを掴んだ?」
「って言っていいのかどうか------」
「よろしい! もう見守るだけだね。
なんなら、ずっと見守っていてもいいんだよ。あ、イルクナーだってビアンカと一緒にいたいでしょ? ここまで駆けつけたわけだし」
適当に話を進めていくや、イルクナーは真面目に応える。
「今はともかく、前に予知夢で見た内容は異なるんだ。今更どうでもいいことかもしれないけど------」
別にわざわざ言うことではないと思いながらも、自身の術のブレは知らせておきたかったのだ。
「びっくり。それって、わたしが最初に描いてたプランだったから。
ピンチの女の子を見させて、呼ぼうとしたの。でもそれだと、ビアンカの印象悪いし、考えてる間にあいつらが来っちゃったからね。それに女の子が、例のあの子だとするとわたしのイメージとは違うし、混同してるのは確かよ」
「じゃあ結局は不安定なままじゃ------」
「不安定は不安定だけど、意味合いが違うのよ。今のイルクナーは覚醒した状態での不安定さだと思うのね。
まだ様子を見ないといけないというか。多分、わたしとあの子が夢想術を同時期に発動しちゃったから矛盾が生じて、それをどうにかしようとする働きが、もう一人の術の使い手であるイルクナーに現れたんじゃないのかなあ」
首を傾げながら話すビアンカは、半信半疑でもあった。
「よくわからないけど、自然的現象ってやつかも。だって未来が見えるのに、どちらかだけ都合よく書き換えようなんて本来できないだろうし、おかしなことにならないために起こったというか」
自分で言っててもよくわからず苦し紛れか、思わず奇声を上げる。
「あーもう、とにかくイルクナーはよくやったってこと! ――って誰あんた?」
ふと見上げた視線の先には、黒髪の少女がもどがしげにしながら立っていたのだ。それから意を決したように、物言わずに歩み寄り、縄を解き始める。
皆がきょとんとしてる中、少女は黙々と作業をしていた。と、サルミが素っ頓狂な声を出す。
「イリーナ? どうしてあなたがここにいるの?」
数十分前までさかのぼると------。
「どうしよう------あっさり捕まってるんだけど------」
ファラナたちとイルクナーたちの戦闘を、岩陰からこっそり見ていたイリーナは、誰にも聞こえない程度の声を出していた。
「う~ん、つけてきてはみたものの、わたしスパイだし、助ける義理はないんじゃないかしら」
悩むイリーナは、思わず口元に指を当てる。とはいえ、ここまではスパイとしては順調な滑り出しをしていた。
道のりはこうである。王国関係者であるデジーレの口利きで、修道士見習いとして聖都カナイにあるミンス教会に所属が決まり、早速サルミと挨拶を交わすときから始まっていた。
どことなくそわそわしているサルミを怪しく思ったイリーナは、即座に尾行を開始していたのだ。
いつもいるはずのギルト司教や、他のドルイドたちも出払っているため、その時点で普通ではない状況でもあったし、対象者が限られていたことも、イリーナの行動力を加速させていた。
案の定、ついてきて正解だったと思う反面、葛藤にさいなまれてもいた。
「とりあえず引き返して報告が筋かな。それとも人として助けるべきかしら------」
そう考えるや、首を強く振った。
「待って、あの人はわたしのパパを救えなかったし、助ける価値なんて------」
前に出かかった足を躊躇し引っ込める。そのとき、デジーレの言葉がふいに蘇ると、気持ちが複雑に動かされる。
「価値か------。でも、もしここで上手く取り込めれば、油断して色々引き出せるかもだよね------」
スパイとしてだけでなく、イリーネも知りたいことを知れる機会が来る可能性があるのだ。ただ結局、漠然とした考えで具体的な計画までとは至らない。
上手く取り込むやり方なんて知らないのだ。だが、助けないといけないといった感情が、イリーネを無意識に突き動かす。
「よくわかんないし、もう知らない!」
そこから先は、頭が真っ白になっていたためによく覚えていない。気付けば、イルクナーたちの縄を解きにかかっていた。
「サルミ、お前の知り合い?」
エリアンがそれとなく聞いてみた。間を置いて、サルミが落ち着きながら応える。
「ええ、教会と国王様の協議が開かれたすぐに、修道士の見習いでミンス教会に来たの。それはいいんだけど、どうして------」
どういったらわからないサルミは、声を詰まらせていた。
「そ、それはあれよ! なんていうか、ほら、そわそわしてたから心配になって、ついて来て見たわけよ。
もし何かあったらって思って。わたしって直感当たるし」
わたしの勘が当たったでしょ、とでも言いたげな顔つきをしていた。ただ、そういった自信も、ぐらつく積み木のように脆かった。
スパイという隠し事を見破られるのではと不安なのだ。だけど、助けたことには、自ずと後悔はしていない。
ドルイドなんて失望でしかなく助けなくても良かったのに、見過ごしてたら目覚めが悪い気がしていたからだ。
心は大きく揺れ動いていて、言葉が上手く出てこない。そこにサルミが、思いがけないような、ふわりとした声を掛けてきた。
「あなたのお陰で助かったわ。ありがとう」
「う、うん。修道士としてこれくらいね」
やや挙動不審になりながらも、胸を張っていた。
「俺からもお礼を言わせて欲しい、感謝する」
イルクナーも誠意を込めていうと、イリーナは厳しい目を向ける。
「そ、それだけ? 他に言うことはないの?」
「え? あ、ああ、これからは気をつけるよ」
「当然よね。今回は特別に許してもいいけど」
ひどく突っぱねるイリーネは、最後は上から目線になっていた。
八つ当たりでもあった。どこか感情をぶつける所がないままにきて、今、ようやく発散できた安堵感にも似た開放感。
父親を失った少女の悲しみと苛立ちが、少しだけ緩和されたときだった。
物足りなさは残るものの機会はあるだろうとし、イルクナーらがクレキに見つからないよう地底の楽園を進んでいるときには、心は前を向いていた。一方のイルクナーたちは、クレキらに見つからないよう脇道をすり抜けながら、ただ一心に、カジールの阻止とミルナとニーサの安否だけを考え動いていた------。
ファラナとイルクナーらの戦闘が起こる少し前、王室、強いては王都の城内では危機感の募っていた。
魔獣の群れが何者かに率いられ、王都に向かっているとの情報が入ったのである。
騎士団長シダが放っている斥候の報告を聞いた王や直属の者は、顔面が蒼白になるくらいに衝撃を受けるものだったのだ。
「わかった------下がっていい」
息せき切る斥候の顔をろくに見ようともせず、神妙な面持ちのまま、手で払いのける仕草をした。
冷たい空気が王室の間を支配していた。ただ、シダの自ら発した声により、張り詰めたものを崩し去る。
「国王陛下」
その場で屈み忠誠の姿勢を取る。居合わせていたデジーレは、目を皿のように見つめていた。
「王都を、そして忠誠を誓った我が王を守るべく、汚わらしい魔獣を蹂躙してご覧にして見せましょう。これは王国騎士団の使命であり、来るべきときが来たのです」
王が承諾する仕草を見せると、シダは兵をすべて集めた。
「皆聞け!」
獣のような声は野太く、王室の隅々まで轟いた。
「今、我々の真価が問われている。ここで大いなる武功を上げずして、どこで成し遂げるというのだ。死を賭して戦え!」
兵達の歓声が先ほどまでの空気を一変するや、シダはほんのわずかに微笑を浮かべる。
魔獣撃退に心血を注ぎ、その先にある栄光を見ていたのだ。だが、数時間もしないうちに、思わぬ事態になるとは、このときは想像だにもしていなかった------。
一時間後、王都に住む民に警戒令を敷き、城門を閉じると、城下町を囲うように設けられた壁の入口(東西南北にひとつずつある)をすべて封鎖した。門は厚い鋼鉄の巨大な扉で、成人男性の5倍のある高さを誇っている。
いくら魔獣といえど力づくで突破を試みても、難しいのではと思わせるほど立派なものだった。だが、迫り来る魔獣を前にすると、固く閉ざされていた城門が、まるで受け入れるかのように開いていく。
それは魔法の力なんかではなく、元騎士団ラウーランらの内通者が、ここを通すよう手引きをしていた。
なにもカジールについた者たちだけが、シダに反発していたわけではなく、不満を持つ騎士団は内部にもいて、ラウーランらと、今日の日も申し合わせ済みだったのだ。ラウーランらは魔獣の背に乗りながら、悠々と城前につくと、王城の門でも同じく、内通者によって門が開く。
「これより先は、このラウーランとヌアサ、カジール様でいい。マクリルは城下に散り、騎士団のこぼれを始末し、王都の門を固めろ。門番には城をほぼ制圧したといえば、それでわかるはずだ」
「わかりました。それで民間人はどう対処すればいい? 抵抗したときとか」
「威嚇するだけで殺してはならない。どのみちドルイド教会は我が手にとしれば、抵抗もなくなるだろう」
絶対の自信があったからこそ言い切った。それから間もなくして、50頭ほどの魔獣をヌアサらに預け、30頭で城を攻め落としにかかる。
成すすべがなかった城内の騎士団は、抵抗虚しく数十分で壊滅状態に追い込まれた。ラウーランらは二体の魔獣を引き連れ、難なく王室へと向かう。
(このときカジールは、ニーサとミルナを縄越しに引き連れていたが、とある客間に閉じ込めてもいた)
王室の豪奢な扉を開けると、シダと騎士団の最後の二人が待ち受けていた。
「カジールか? 貴様なにをしでかしてるのかわかってのんか!」
脅しにも似た口調で、カジールらに喰いかかる。一方のカジールは、まるで耳に入っていないかのようだった。
「ふむ、王はいないようだな------。さては近衛かドリザエムがかくまっているのか」
カジールの予想は当たっていた。城の地下には、直接城下の外に出られる通路が敷いてあり、そこにドリザエムとデジーレが王の安全を期するため、連れ出していたのである。
通路は一本道なので、逃げるときに迷うこともない。もっとも、王は国の代表がおめおめと逃げるような真似などできないと、留まる意思を示していたが。
現時点で王の意見を尊重しているドリザエムは、使者がドルイドの救援を求め、ロンデガンへ遣わしている。が、いざとなったら自分が盾となり王を無理矢理でもデジーレと逃げてもらおうと決めていた。
速馬を使っても、往復で三日はかかる距離であり、もしも救援の前に危機が迫ったらとの考えからである。
「むしろ他にはないだろうな。さて、今はお前さんたちの相手か」
ゆったりとした口ぶりとは対照的に、ラウーランはすぐさま魔獣とともに攻撃を仕掛けた。
二体の魔獣は、騎士団二人を頭ごと噛み砕きにかかる。一人は避けきれず、腕をもがれるや、刹那に魔獣の前足の爪で袈裟切りにあい絶命した。
もう一人はカウンターとばかりに魔獣の口に一太刀いれようとしたが、剣は噛まれ、そのまま押し切られる形で倒れ踏み潰される。
鎧と人の骨が砕け、その混ざった音が気味悪く響く。その横で、シダが魔獣の後ろ足をなぎ払いで切りながら、ラウーランの振り下ろしてくる爪を、振り上げざま防いでいた。
交錯する剣と爪から、不快な音が漏れる。と、シダめがけて側面から突進してくる魔獣を認めるや、シダはラウーランの腹を蹴り、自身はその反動で後ろに転がり避ける。
すんでのところでかわしきれた。一方の魔獣は勢いが収まらず、壁に激突し崩壊させていた。
大きな穴ができる。そのようなことはお構いなしとばかりにシダは口を開いた。
「貴様ラウーランだな? ふん、所詮はそのような人間だったか」
「あんたにだけは言われたくないね」
そう言われたシダは、よほど気に入らなかったのか目に血柱を浮かべながら剣を突いてきた。ラウーランは右の爪で簡単に払うと、渾身の力を込めた左手の爪で、胴体を鎧ごと切り裂く。
切り裂いた鎧の間から血が噴き出す。更に魔獣が追い討ちをかける。
さきほどかわされた魔獣が、リベンジとばかりに突進を仕掛けてきていたのだ。シダは回避する気力も集中力もなく直撃をくらう。
バーンと破裂するような音を響かせながら、シダは弾むボールのように吹き飛んだ。そして飛んだ先が空いた壁であり、城の外に落ちていった-----。
イルクナーたちは、カジールの陰謀阻止とニーサらの救出に向け{地底の楽園}の居住区や市場などの中心部まで来ていた。ここで、最初に来たときと雰囲気が違うことに気付くことになる。
ゴブリンやドワーフたち、人までもがそわそわしたり、慌ただしく動いているのだ。
右往左往するように見える者ばかりであったが、イルクナーは今ある危機が優先とばかりに、出口へと進んでいく。
むしろ、彼らにつられるように足早になっていた。が、いったん回れ右をして、ビアンカらを先導しながら物陰に隠れる。
出口付近ではファラナたちがいたのだ。
「あそこにいたのね------。んー、なんか足止めされてるみたいだけど」
ビアンカらは目を凝らし、しばらく様子を窺う。
「どうやら通行止めになっているようだ」
「そうみたい。だとしたらどうする?」
「しっ。引き返してくる」
イルクナーは口元に人差し指を立て、ファラナたちが通り過ぎるのを確認すると、出口付近を指差した。
「とりあずいって話すだけ話してみよう」
近くまでくると、重厚な斧を持つドワーフ三人組に待ったを掛けられる。
「おっと、ここは見ての通り封鎖中だ。まあ他も全部そうだが」
言った一人が、蓄えた髭をさすりながら答える。もう一人は、螺旋階段の頂上部分にある、観音開き式の鋼鉄の扉を見上げている。
「どうしてそうなったかは知らんが、上じゃ魔獣が王都を襲っているって話だ。だから通すわけにはいかねえのよ。
悪いことはいわねえから、引き返せ。ここで大人しくしてりゃあ、身のためってもんだ」
「そうも言ってられないんだ。俺たちはドルイドで、王都を救わなきゃいけない義務がある」
「ふん。さっきの奴らも似たようなことを言っていたが、出るはいいが扉を開けはしないって話したら諦めてたぜ。
ぶるっちまったんだろうよ。お前さんらもそういった類だろ?」
おそらくあっさり引き返したのは、馬車でなくともフード付きのローブでも探す決断をしたのだろう。外に出れても、帰ってこれなくては意味がない。
多少怪しまれるが、イルクナーを隠すにはそれ以外方法はない、ばれるよりかはいいといったところか。
「俺たちはそれで大丈夫だから、開けてくれないか?」
「ほう、大した覚悟だな。それともう1つあるんだがよ」
まだなにかあるのかと、イルクナーはややうんざり気味になる。
「お前らの一番後ろにいるやつ、そいつもか?」
年少者であるサルミかエリアン、あるいはイリーネのことかと思い、問題ないと口が出かかった。けど、ドワーフの視線が更にその後ろを見ている。
ドワーフの丸い目は、今や猥褻(わいせつ)な眼に変わっていた。イルクナーは不可解に思い確認するや、驚きと呆れが混ざる。
イルクナーに付きまとっていたゴブリンが、ひょこっと顔を出していたのだ。
「ここいらにたむろしてれば会えると思いまして。ただ、お姿を見た途端、妙に照れくさくなって、そいで後ろからこっそりとでして」
手もみするゴブリンは、やや上目でイルクナーを見やる。
「一体俺に何用なんだ。何故いちいち付きまとう?」
「そりゃ、旦那とあっしは一心同体みたいなもんじゃありませんか。------って、本気で捉えないでくださいよ?
そいつは冗談ってやつですわ。本題はといいますとね。
あっしも上にいきたくて------。情勢が知りたいといいますか、好奇心が押さえれずというか」
「お前の好奇心に付き合う気はない」
「ええ、ええ。あっしはただ上がどうなってるか見たいだけで、邪魔にならないようくっついて行くだけ」
イルクナーらは変にへりくだりながら接するゴブリンに、疎ましさを感じ、そのような表情が出てしまう。ただゴブリンはというと、イルクナーを潤んだ瞳で見つめ、懇願の態度をとっていた。
今にも泣き出しそうといってもよかった。だが、そのように見せても、どこか胡散臭さがゴブリンという種族から、そう見てしまう。
普段の行いからのイメージが原因だろう。それでもイルクナーは、ゴブリンが害を成すほど力はないだろうと判断し、共に行動することを渋々許可した。
「勝手についてくってことで、変な真似はしないようにな」
一応念を押すため、厳しい眼差しを向ける。対峙していたゴブリンは、むしろ慈愛を向けられているとばかりに嬉々としていた。
忠誠を誓った者が、王に向ける態度にも近かった。扉が開けられるそのときには、にやにやした表情に変わっていたが------。
王都にでると、ひんやりとした風が頬をなぶった。と、幾許もない間に、商業人と思われる男が駆け足でイルクナーの前を通り過ぎようとする。
魔獣がいるためであろう、目には焦りの色が充満していた。しかしながら、イルクナーらが自らの視界に認めるや、驚きの顔に変わった。
「お、お前たちも王都から逃げようとしているんだろう? 残念だけど、どの門も魔獣どもに張り付かれてるぞ」
すべての門を確認し終えたらしく、今から自宅に戻るのだそうだ。
「それにしてもよく生きてこられましたね」
イルクナーがそういうと、男は小さく肩をすくめる。
「それが不思議なことに、あいつら俺を見つけても襲ってこないんだ。殺されるのは騎士団だけでさ。
まったくわけがわからん。とはいえ、あいつらのことだし、いきなり食われるなんてのもあるかもしれねえからな」
お前らも気をつけろといいながら、足早にこの場を後にしていった。
「イシシシ、そういうことならあっし一人でもいけそうですわ」
急に口を開いたかと思えば、イルクナーたちから逃げるかのように去っていく。
「いや、待て」
魔獣の脅威はなさげでも{地底の楽園}以外では、放置して安心できる種族ではない。
よからぬ企みがあるのではと信用しきれないのだ。イルクナーは、すぐさま追いかけだす。
「ゴブリンを捕まえてくるから、お前たちはここで待っててくれ」
走りざま、そういい残すと、ビアンカも釣られるように追いかけだした。
「わたしもついていく! 一人だと危ないよ」
どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。ここに、イリーネまでも二人の後を追い出した。
ただ待っているより、なにかありそうなところへ向かうべきと直感で動いていたのだ。
こうして、三人でゴブリンを追いかけることになったのだが、いっこうに捕まえられない。
はねるようにして走るゴブリンは、思いのほか速い。
「ゴブリンってあんな速く走れるの?」
懐疑的にいうイリーネは、息が上がり始める。それから少しした後、ゴブリンはミンス教会まで来ると足を止めた。
颯爽と教会へと入っていったのである。訝しげに見ていた三人は、とりあえず追いかけっこは終わりだと思いながら、後に続いた。
「手間を取らせて」
そう愚痴をつきながら、さっさと捕まえようと手に力が入る。その姿を、遠目で見張る男がいた。
途中から、ゴブリンとイルクナーらを目撃した騎士団長シダだ。ラウーランにやられた傷は致命傷ではないが浅くもなく、一条に割れた鎧から血が滲み出ている。
また、投げ飛ばされた衝撃で脳震盪も起こしていた。それでも、生の執着心からすぐに避難を試みていた。
手ごたえを感触に残していたラウーランは死んだものと思い、追撃をよこさなかったのも幸していた。
「他の二人は知らないが、こんなときにイルクナーがゴブリンを追っかけていやがる理由はなんだ?」
そう呟きながら、目まいのする体を引きずるように、教会へと向かわせた。
「わけがわからん。わからんが何かある」
シダは体を引きずるようにして歩きながら、奴らを逃すまいといった執念めいた目つきで、後を追っていた。
いつもいるはずの人間が誰一人としていない教会は、どこか氷のように冷たく感じた。
イルクナーにいたっては、どこか別の教会に来たのではと思えるほどだった。ただ感傷に浸る気もなく、ゴブリンの行き着く先を追う。
礼拝堂には見当たらず、おそらく奥の{銀翼の水晶(ラグナロク)}の間だろうと足を進めると、案の定そこにいた。ただ様子がおかしい。
巨大な水晶に手を置き、不明な言語を詠唱していて、回りを警戒する雰囲気もない。そんなものはどうでもいいと言わんばかりにイルクナーは、目をやや尖らせながら近づいていった。
ゴブリンが何をしているかの前に、身勝手な振る舞いの注意が先と思っていたからだ。だが口を開こうとした次の瞬間{銀翼の水晶(ラグナロク)}から強烈な稲妻めいたものが走った。
まるで部屋全体が雷に襲われたかのような衝撃が走り、その場にいた全員がとっさに目を閉じ、腕で顔を塞いだ。しかしながら、一瞬の出来事であり、またひんやりとした空間へと戻る。
あたかも、そんなものはなかったかのように、衝撃に受けた痺れも感じない。だが、イルクナーらは、何だったんだといった感じで、ゆっくり目を開けてみると、目の前の情景に思わず息を飲んだ。
「特にこれといった異常はないようだ」
ゴブリンは辺りいっぱいに並べられている、巨大な瓶の中に水溶液で漬けられた化け物を見つめ、そう呟いていた。
――教会の面影はなく、どこか生物の実験場のような異様な姿と化していたのだ。
「驚いたかね。もっともわたしとしては、君の覚醒の方が気になったわけで、こうして見ているのだがね」
こちらに振り向くこともなく話し出していた。イルクナーは、先ほどまでと違う雰囲気のゴブリンに上手く言葉が出なかった。
荘厳さが漂い、どこか威圧感があるのだ。一方のゴブリンは、イルクナーには目もくれず、化け物たちをずっと見つめている。
「君の混乱している反応はなかなかにいい。しかしながら、そろそろ説明を欲するところだろう」
話すゴブリンの顔の皺など、どこか老成して出来上がったかのように、威厳あるように見えてしまう。
「ざっと話すとこうだ。わたしはドルイドを司る女神、ミシャだ。ここは、私が作ったもう一つのミンス教会、そして{銀翼の水晶(ラグナロク)}の源なのだよ。ここにいる化け物は生前に捕縛したもので、彼らのエネルギーを抽出して魔力を生み出しているわけだ。そいつを君たちに与え、魔法を使えるようにしている」
ゴブリンはここで、ようやく振り向くや、五本の指を上向きに広げる。
「考えてもみたまえ。やつらが炎や氷を吐いたり、精巧なまでの幻覚作用を及ぼしてみたりと、出来すぎなまでの力があることを。単に人間じゃないからというだけでわなく、魔力が備わっているからに過ぎない。
私はそれを君たちに提供し、君たちは魔力を生かして魔獣を退治している。誰に提供するかは、古代種である君らに任せてあるがね」
ミシャはにやりとしている。その後すぐに、ゴブリンの体が変化した。
その姿はみるみる人の形を成し、数秒後には銀髪で色白、垂れ目気味の美しい女性に変わっていたのだ。見た目は30くらいだろうか、その中に気品と相変わらずの上の者特有の威厳が漂う。
「ゴブリンに化けたわけは他でもない」
ミシャの銀髪が微かに揺れる。
「イルクナーを尾行するためだ。人の姿よりゴブリンの方が、しつこくいってもそういった種族として認知されているところがあるからな。
ついていくのには都合がよかったのだよ。それに、古代種のように神の姿でこの世界を歩き回るのもよくない。
むやみに晒していいものではないのだ」
やや薄笑いを浮かべながら、ビアンカを見やる。ビアンカは見られていることよりも、ゴブリンが神だった事実に驚き、とっさにイルクナーの腕にしがみつく。
初めて見る神の姿に、畏れも多少あった。イルクナーも同じ思いでいたが、神であってももやっとした気持ちを抑えきれず、思わず口を出す。
「もしあなたが神の存在であれば、魔獣を生かし続けているのは本当ですか?」
「そうだ」
ミシャは視線をイルクナーに落とすと、事も無げに応える。
「だとしたら、間違いを犯している。あなたが手を加えなければ、人だって無駄に死ななかったはずだし。魔獣やその一族に恨みとかあるのかわからないけど、俺らには関係ないかと」
「お前は何もわかっていない。かつての大戦の刑罰ではあるが、そこは最重要ではない、魔獣こそがドルイド教徒を高めているのだよ。
人の脅威を取り払うドルイドの価値として、一躍買っているのだ。それに、それだけでは留まらない。
人々が魔獣の存在に目がいくことで、人同志の争いが少なくなっているともいえる」
今の人間には、わたしが作り上げたシステムが好都合だと話した。その話を聞いたイルクナーは、違和感を覚える。
「現在王都が抱えている騒乱は、神であるあなたが原因を作ったのではないか? もし魔獣が不死でなかったなら、こんな事態には------」
イルクナーは、王都騒乱のきっかけを作ったのは、死なない魔獣を生み出した神だと、確信していたのだ。たとえ他に野望めいた理由があっても、きかっけを与えたことは間違いない。
「当てつけもいいところだな------騒乱たるものは人間の愚策に過ぎない。それより、君はおかしいとは思わなかったのか?
まずタイミングが良すぎるのではと」
ミシャは眉一つ動かさない。
「どうして今なのだ。別にいつでもよかったものの、よりにもよって、お前の夢想術がおかしくなっているときを見計らっているようではないか。
予知できるものがいない------邪魔が入りにくいときであるわけだ。更にいえば、フェンリルが残してあった魔動機が見つかり、反乱勢力からしてみれば追い風すぎる」
魔動機と聞いたイルクナーたちは疑問の顔つきになったが、ミシャがその性能を大まかに話し解決してやった。
「カジール様は、俺が破門されたことは知っていたし、魔動機は、たまたまこの時期だったのでは。計算していたという意味では不思議はないけど------」
「カジールとやらも計算くらいしているだろう。だが、そやつはどうでもいい。
問題はフェンリルだ。奴は死ぬ前に計算している。
魔動機をたまたま見つかったと言ったが、おそらくイルクナーの夢想術と関係しているのではないか? 夢想術の使い手がビアンカともう一人現れたところで矛盾が生じ、それをどうにかしようとした超然とした力がイルクナーに働き、その力が引き金となり洞くつの扉が開かれたのかもしれん」
イリーネは、イルクナーとビアンカの奥で隠れるように立っていた。ただ、一語一句逃すまいと耳をそば立てている。
「わたしに自分の眷属が利用され、その中に夢想術を秘めた魔力があるのを、火で焼かれながらも、すぐには死ななかったフェンリルは見ていたのだろう。そこで火に包まれながらも、魔動機を作り、人の手に渡らせたのだ。
今となって気付いても遅いのは承知だ。それにしても、まったく悪魔らしいやり方だ。力を欲している人間に、魔獣を差し出すなどな」
「そんなことが、ありえるのか------」
「そうとしか考えられない。ここに来て異常はなかったのだし、魔力は人の手によっても成長するものとすれば、飛躍的に昇華しても不思議ではなく、そのことをフェンリルが知り得ていても当然と見ていい」
「そもそも、化け物から魔力を抽出するなんて真似をしなければ、フェンリルだって魔動機を作らなかったとも言えるんじゃ」
「そうかもしれぬ。だが、人に備えあって越したことはない。
冥府の他にも、どこからか転移してきた魔物に襲われたとき、神がすべて対応できるとも限らぬ。そこで魔力は必要と考えたのだよ。
身を守る手段として最適と判断した。残念ながら神に、魔力を人に授ける力はないからね」
「わ、わたしとしても魔物から魔力を取り出していたなんて、ショックです」
古代種であり番人の役割を担い、また魔力を同様に授かったビアンカにとっては、この真実は受け入れがたく、相手が神であってもそういってしまうのだった。と、三人の更に後方から、やや震え気味の声が上がってくる。
「ドルイド魔術が魔物のものだったらと知れたら、神が魔獣を生かしておいてると知れたら、王都は混乱するだろうな。くくっ、だが知ったらこっちのもんだ。
せいぜい騎士団側に利用させてもらうわ」
栄光の未来を描いていた騎士団長シダは、感極まって声が高ぶり、目には血柱が走っていた。イルクナーたちがシダの存在に驚きはっと振り向いたが、シダはそれ以上何も喋らなかった。
変わりに心臓が破裂した音と共に、事切れていたのだ。シダの存在を前々から知っていたミシャは、手を握り締めながら涼しい顔をしている。
魔術により遠隔操作で、シダの心臓を握りつぶしていたのだ。
「お前たちは問題の本質を知るべきだ。仮に魔法がない世界を構築していったとして、こ奴のような男をどう止める?
己の欲望のために暴走しうる人間を。だからこそドルイドとなりその価値を高め、守るべきものを守るのがお前たちの使命なのだ」
イルクナーはミシャの言葉に、どうしても引っ掛かってしまう。魔法によって救われた命もあるだろうが、魔獣が死なないのであれば意味がない。
結局は神が作った劇場で踊らされているに過ぎない。
「言われるまでもなく、俺たちはそうしてきた。もう一つ言うなら、ドルイドの価値を高めてもらおうなんて考えていない。
つまりは魔獣は所詮、魔獣であって生き永らえてるものではないし、即刻魔獣たちを解くべきだ」
「解く気はない。したらお前はどうする?」
「俺たちはドルイドだと言ったはず------守るためなら、神であろうと討つ」
高らかに宣言した声によどみはなかく、どこまでも響いていくかのようだった。その瞬間、異変も起きていた。
イルクナーの体から、眩い光を放ち始めたのだ。放つ光の量は凄まじく、まるで太陽の真ん中にいるかのようになっていく。
神までもが、目を閉じていた。ただ、数分もしない間に光は収まる。
眩むような光は、白波がはじけたかのように消えていた。けれど、イルクナーの瞳には、燃えるような青白い光がしっかりと残り、焼きつかんとしている。