2018/10 公式サイトオープン!
神々の破滅(ラグナロク)が異世界を救う!? 7/11
王都カナイの西南に位置する黒羊通りでは、大規模な市場(バザール)が常に開かれていた。そこに、旅人風の装いをしたイルクナーが、襟を正しながら歩いている。
夢に見た件の地を探していたのだ。ただ、審問が下された直後------ドルイド教会を去る足で来たわけではない。
一度宿を取っていた。インターバルを置かないと勇み足になりそうで、冷静さを欠くような気がするし、何より落ち着きたい。
不安もすべて受け止める時間が欲しかったのだ。宿に泊まり落ち着いたせいか、今は必ず糸口を掴んでやると吹っ切れ、心なしか足取りもきびきびしている。
(この辺りが近かったはずだが------)
しばらくさ迷い歩くと、蔦が巻き付けられている大きなアーチを見つけた。
庭園の入口のように着飾っている。潜ると地下に続く螺旋階段があるのみであったが。回りは縦長の柵で囲まれていた。特に気になるところもなく、イルクナーは無心で下っ
ていく。
コツコツと乾いた音を立てながら、下へと進んだ。
暗くなりかけると、壁からランタンの灯りが灯るようになる。そこからかなりの段を踏み、ようやく下り終えるや、その先は別世界であった。
大きな街がありありと存在していた。土壁をくり抜いたかのような住居が何層にも広がり、青や黄色や赤などのペンキを塗って、豊かな色彩すら出している。
窓にガラスは嵌めておらず、すべて吹き抜けになっていた。と、そのときイルクナーの横を、ゴブリンが駆け足ですり抜けていく。
(地底の楽園と呼ばれるゆえんか------)
イルクナーはふと呟く。そう、ここは別名{地底の楽園}と呼ばれていた。
わけはこうである。建国当時、地底に住み着いていたゴブリンやドワーフといった亜種を追い払おうとした矢先、時の王は彼らの手先の器用さから失うは惜しいとし、住居の権限を与え、人との共存を可能にした区域だからだ。今では人はおろかエルフ族まで住まう多様性を見せている。無論、他にもある。
いわゆる稼ぎの少ない者への減税だ。弱者への労わりとして、亜種でも安心して日々を営めるよう配慮している。
「ちくしょー! 誰かそいつを捕まえてくれ!」
怒号のように叫びながら、何者かが走り迫る。
髭を蓄え、小柄ではあるがしっかりとした体躯と気の強そうな顔立ちで、すぐにドワーフと知れた。
「くそっ、うちの商品盗みやがって!」
捨て台詞のようにいうや、そのまま逃げ行くゴブリンを追いかけていく。
これもまた{地底の楽園}の現状なのだ。手先が器用で、物づくりを得手としているドワーフは比較的裕福な生活をしており、特化した特技などないゴブリンは、使い間など下っ端の仕事が多いため、盗みや詐欺などの罪を犯す輩が少なくない。
排除しようとする声もあるが、真面目に働き役立っているゴブリンの存在が考慮され、共存が許されている。
(完璧な世界などないというわけだ。とりわけここはまだマシな方かも知れない)
イルクナーは黙考しながら足を進める。と、後方よりやや下めから声が上がった。
「あのー、もし」
振り向くと、イルクナーの腰ほどまでの背丈のゴブリンが、手もみをしながら声をかけていた。
「あー鑿(のみ)で刻んだような顔立ち、もしや貴族の落としだねでは? いやいや、あまりに綺麗な顔立ちなのでつい呼び止めたまでで」
見ると、ゴブリンの手にはガラスの小瓶が入った袋を持っていた。
(香水かガラス細工の売り子か。どっちにしろ相手にしても意味はないな)
無視するように回れ右をし、先を急いだ。だが、ゴブリンもそそくさと、まとわりつくようについてくる。
「お待ち下さい旦那様」
しゃがれた声のゴブリンは、特徴である長めの鼻と老け顔をイルクナーにすっと近づけた。
「何処へ行こうというのです? そんな衣服の下に鎧など忍ばせて」
気付くとゴブリンは、マントの裾をわずかにめくっていた。
「触るな。お前には関係ないだろ」
「お、お許し下さい。すき間からちらと見え、気になったもので。
何せ、甲冑をこなしている人は珍しい。それはそうと、妖精シルフを象ったガラス細工に興味は?」
(なんなんだこのゴブリンは------。
ただの物売りかと思えば、変に勘ぐりまわすし------。
あまりやりたくはないが、尖り声を浴びせ追い払うか)
イルクナーは意を決し、声を張らせるために息を吸った。しかしながら、声を出せない。
頭中より稲妻のようなノイズが走るや、目の前が刹那に暗闇に覆われていたのだ。
「ぐっ、どうなって?」
脳内は痛みを伴い、たまらず膝をついた。一瞬の間が空いた、そのときであった。
淡い感じの視界が、ぼんやりと開ける。
「これは?」
目にする情景に、思わず目を丸くした。
かつてイルクナーが夢で見た、女人と人さらいの男共が出てきた洞窟めいた一角が、まざまざと現れたのである。だが、見える人影が誰だか視認できない。
はっきりとは見えず、どことなくの雰囲気や仕草で判断するより他なかった。
(あそこにいる人は、花を少女に変えたあのときの。------ん? あれは人さらいの男たちではないな)
夢にはいなかった幾人の姿があった。ただ彼らの判別は、特定まで至らない。
ぼやけすぎて、あの男たちではないくらいにしかわからなかった。理解できるのは敵味方に分かれて戦っていること。
(相手側に花から生まれた少女らしき娘が??
やはり前見た夢は不完全なものなのか------。それより何なんだ、この無理矢理見せられている感じは)
今までの寝ているときにみる予知夢とは違い、何かがおかしい。だが疑問に思っていても、イルクナーは戸惑うしかなかった。
突然の現象に解く鍵などなく、海に漂う海藻さながらに、その身を任せるしかなかったのだ。そうしているイルクナーをあざ笑うかのように、展開は進んでいく。
花の少女と、その少女を生み出した女人が味方にそれぞれ戦いの指示を出していた。それにしても様子がおかしい。
以前にイルクナーが、魔獣と戦うときに予知夢から得た術を、自分やニーサらに言っていたようにしていたのだ。
(あの物言い------二人共未来が読めるのか? でも、そうなると矛盾が起こるはずだ)
未来が両者に見えたとすると、その予測の元に相手の刃を凌ぎ、こちらの攻撃を見事に当てることを相手もするはず。
となると予知したものがぶつかり合うことになり、理論上不可能だとイルクナーは確信していた。だからこそ、どうなるものかと固唾を呑んで見守っていたそのときだった。
空間に僅かな歪みができ、やがて大きく肥大し飲み込まんとしているのがわかった。おそらくは術同志がぶつかってしまい、それが原因で引き起こしてしまったものかと勘ぐり、また、このままではまずいと思った刹那、イルクナーにある異変が起きる。
歪みを消し去りたいと願った瞬間、歪みが無くなったかと思うと、読みが自分の意思だったかのように、争いをコントロールしていきながら冷酷なまでに攻め立て、少女らを追い詰めていったのだ。
人形を操っている感覚にも似ていた。と、同時に、花の少女らが成すすべもなくやられていく様を見つめるや、四肢の震えが止まらない。
片手落ちの結末と、自分の力の惨たらしさに戦慄を覚えずにはいられなかったのだ。それから幾許かすると、頭に声が届くようになる。
「どうなさったのです?」
横たわり、ようやく見開いたイルクナーの目を見るなりゴブリンは安堵の溜息を漏らした。
「あぁ気付かれて良かった。わたしゃあ心臓が止まるかと思いましたよ」
そういいながら、手を自分の胸に置くとあざとらしく安心する素振りを見せた。イルクナーはゴブリンに構いたくなく、微かに残る頭痛を無視するように立ち上がり歩き始めてた。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいませ若旦那!」
そう言っている頃には、イルクナーはゴブリンを引き剥がそうとしている。
「無理は体に毒でして」
「ゴブリンに心配されるほど弱まっていない」
吐き捨てるように言ったが、ゴブリンはにやにやとするばかりだった。
「さすが」
覗き見るようにしているゴブリンを、忌み嫌うようにイルクナーは見向きもしない。それよりも気絶しているときに見たものが脳裏に焼きついていた。
(あれも予知夢であったら------。しかし今までのように外れる可能性も十分にあるわけだ。
どっちにしろ神のみぞ知るなのか------。とにかく先に進むしか道なないな)
このままでは終われない、すべてを取り戻すまではと思いながら、予知夢にあった未来をコントロールするような感覚が、今も残滓として残っていた。ただこのことは頭の片隅にしまい込んで、ひたすら歩みを進める。
幾許かの時間歩き続けた行程はこうだ。
押し合いへし合いする人と亜種の間をすり抜け、地上の光がほのかに射し込んでいた天井の切れ目も次第になくなり、壁際に等間隔で取り付けられてあるカンテラの静かな灯りのみが頼りの、蟻の巣のような場所まで辿り着く。
(このときすでにゴブリンの姿は消えていた。奥深くに入り、きな臭いと感じたのだろうが、イルクナー自身は気にも留めていなかったが)
袋小路も多々あり、迷宮さながらでもあった。この辺だっただろうと断定し、イルクナーは一先ず辺りを見渡す、そのときだった。
「いきなり見つけちゃったー!」
ゴブリンではない何者かにそういわれ、後ろから抱きつかれたイルクナーは目を丸くするばかりだった。しかしながら、女人とわかるふくよかな胸の柔らかい感触があるとつい赤面してしまう。
後ろを振り返ると、予知夢で見た簡素なローブを着た例の女人だとわかった。イルクナーより2つ上くらいの年頃で、茶色の髪は肩まであり、背が割と低いせいか美人というより可愛い感じがする。
「あなたの運命の人、ビアンカの登場だよ。------それにしても、こんなにあっさり出会えるとはびっくりね。やっぱり固く結ばれてるのかしら」
「はい?」
首を傾げているイルクナーなど全く見ていないビアンカは、抱きつきながら浮かれていた。一方イルクナーは首をわずかにずらし、訝しげにビアンカを見やる。
よく見ると、ことのほか美人であった。長めの黒髪は、カンテラの少量の灯りでも光沢を放ち、ぱちくりとした瞳はどこか甘やかしい。
歳はイルクナーより数個上のような感じに見えた。
性格は底なしに明るい感じで、当初に見た予知夢とは雰囲気が違う。それでも捜し求めていた件の女人であろうことは、感覚が教えてくれた。
「聞きたいことが――」
言いかけてるイルクナーの口元に、ビアンカの人差し指が迫る。
「予知夢が変になってるイルクナーの悩みは、このビアンカに任せて!」
「どうしてそのことを?」
イルクナーは目を皿のようにして相手を見ていた。ビアンカはそのすべてを受け止めるように、腰に手を置く態度を見せる。
「ふふ、すべてお見通し。でもまずは信頼関係の構築を------」
ビアンカは急にもじもじし始めたが、反対側から足音が聞こえ、二人はそちらをきっと見やった。
イルクナーの知っている三名だった。一人はカジール直轄にあたるドルイドの司祭で、真ん中に立つ女性の名はクレキ------イルクナーの5つ離れた先輩にあたる彼女は、炎系の魔術を得意としている。
なりたてではあるが、中級司祭でもあるのだ。更には、イルクナーがまだ見習いの頃に聖都に訪れては剣技を教えている。
王国騎士団に入っても、その武芸でその名(クレキ)を上げたのではと噂されるほどの腕前なのだ。隣の男の子はヒラヌというイルクナーの三つ下で、近くドルイドの見習いから司祭に上がろうとしている。
空気を操る魔術を売りにしていた。最後の一人は予知夢で見た、花から生まれた少女である。
見たとおりエメラルドグリーンの髪と、その色を帯びた丸く大きい瞳は幼かった。
年の頃は15くらいだろうか。だが、見た目のわりに、しっかりとした風にも見える。
丸い瞳をきりっとさせ、隙を与えさせない顔つきだ。
物言いもまた大人びている。
「出会って早々ですが、命によりわたしたちの傘下に加わっていただきます。それと無駄な抵抗はお勧めしません。
干戈を交えずともあなた方の敗戦は知れていますので」
「何いってんの、あんた! てか大事なところなんだから、声かけんのもう少し待てなかったの?」
「そんな戯言、知るわけないでしょう」
その通りだとイルクナーは思った。ただ、投降しなければならない理由もないとも思う。
「君らに従う言われはない。ましてや説明もなしに」
「言われはあるわ。すべての魔獣の浄化のために」
言っている意味がわからないといった表情のイルクナーにビアンカは「後で話すわ」と小声で呟いた。
「呪いを解くのにどうして、あんたたちに負けてあげなければいけないのかしら?」
「神を導くためです」
「神を? 冗談でしょ?」
「冗談ではありません。現に古代種であるあなたは、神を導くには利用価値は十分にあるかと思います」
古代種と聞いてイルクナーは、ますます謎めく。一方ビアンカは眉をひそめる。
「どうやって把握したのかしらないけど、わたしの正体を知っているのね。てゆうか、ビアンカを生贄するつもりならいい度胸してるわね」
目を見開き、鋭い眼光を飛ばしていた。
二人のやり取りを冷静に見やるクレキは、ふいにイルクナーに視線をよこした。
「お前には後で説明するとして、無理矢理でも私たちに従ってもらうぞ、イルクナー。だが本音を言えば武力は避けたいと思っていることだけはわかってほしい」
「勝手ですね。------そういえばカジール司教が見えませんが、どうしておられるのですか?」
お目付け役の司教がいないとは、考えられることは二つ。彼らに拘束されて監禁されているか共謀のいずれか。
どちらも最悪といってよかった。しかしながら、それ以上の答えが返ってくる。
「司教は今頃、タルミで配下の者とでミルナとニーサを捕縛していることだろう」
「捕縛------タルミで? どういう------」
「意図的に魔獣を暴れさせ、誘い出している。
草民にも犠牲は伴ったかもしれないが、安心しろ。目的はあくまで彼女らの捕縛。
そこまで被害はでていないはずだ」
「なっ、身勝手な真似を!」
思わず、歯がぎしりと軋む。対するクレキは俄然胸を張る。
「すべては魔獣の脅威を無くすためだ。
血を多分に流させないためにも、今食い止めなければならない」
クレキは柄に手をやり、抜刀の体勢に入っている。一方でイルクナーは、おかしいといった感情が先に芽生えていた。
他に考えようはなかったのかとも思えたし、性急すぎるとも見えた。解決すると決まったわけではないのに、唐突なまでに戦を仕掛けてきている。
見切り発車といっても良かった。ただ止める決定的な術は持っていない。
「先輩がやってる行為は教会への背徳ですよ」
「否定はしないさ------」
抜刀し、切っ先をイルクナーに向けた。と、そこにイルクナーらの後方から、聞き覚えのある威勢のいい声が聞こえてくる。
「ヒーローは突然やってくる!」
エリアンだった。自らをヒーローと名乗り、前に出てくるや仁王立ちの構えを見せる。
不敵な笑みすら浮かべていた。幾許かしたあと、エリアンの背からもう一人、ぐったりした様子で現れる。
見習いのサルミだ。
「みなさん、エリアンがあまりに馬鹿ですみません。ですが助けに入ったのはわたしも同じ。
微力ながら加勢します!」
手に持つ杖を、術式の構えに変えた。と、二人にほんの軽く手で制すようにしたイルクナーは、囁きかけるように問いかける。
「よくここがわかったな」
「ふっ、救世主である僕にかかればすべてお見通し――」
前髪を人差し指でかき上げ、涼しげな顔をわざと作り出した。が、横からサルミのグーパンチにより、一瞬で苦悶の表情に変わる。
こめかみにヒットし、よろけさえもしていた。サルミといえば殴る瞬間は目を吊り上げていたが、イルクナーの方に顔を向けるや、事も無げになる。
「エリアンはイルクナーさんが去った後、そのまま気付かれないようについて行ったようですが、わたしは王国の会議の手伝いを命じられていたので、それからでした。ですので、わたしは星術を使い、位置を確認しながら追いかけてきたのです」
サルミが使った星術は、使用する人の魔力を天体の星のように認識でき、地図に記しをつけたかのように、どこにいるのか検討がつくのだ。といっても、魔術を使うときにしか把握できない。
魔術を使った際でも、放った以降は星の輝きも消えわからなくなる。ただエリアンはイルクナーの後をつけているとき、何があってもいいように術を使用したまま行動してたため、容易にことは進んだ。
「無断で外出してしまったので心苦しさはありますが、エリアンですから変にこじらせないかと心配で来たといってもいいかもしれません」
サルミがざっと説明を終えようとしていると、よろめいていたエリアンがいつの間にか姿勢を正していた。
「素直になりなよサルミ。ほんとは、スターの輝きに嫉妬してついきちゃったんだって」
「はあー? 誰があんたなんかに嫉妬しなきゃいけないのよ!」
回し蹴りが入るや、エリアンは止めを刺された獣のように、断末魔の声を上げた。直後に少女が藪から棒に言い放つ。
「児戯に付き合っている暇はありません! こちらからいきます」
そう言い放ち、水色に光る宝石を埋め込んだ杖を振りかざすと、たちまちに竜巻のような風が発生し、イルクナーらを切り裂こうとする。
少女から放たれた術は{烈風の神刀(エアスラッシュ)}だ。驚く三人は、ビアンカの雷鳴のような指示声に冷静さを取り戻す。
「イルクナーは鞘を正面縦に、エリアンは三歩後ろ、サルミは伏せて!」
三人はぎりぎりにかわせていた。抜刀していたら間に合わなかったであろうイルクナーは鞘で何とか刃を防いでいて、真上から襲われていたエリアンは、飛びのいて尻餅をついている。
肩口を狙われていたサルミはすんでのところで避けていたが、一瞬遅ければやられていたために冷や汗をかいている。
呼吸もやや乱れ杖を握る手も震えていた。しかしながら、この状況では無理矢理体を起こすしかない。
臨戦態勢を整え少女に正対する。
「今のは間違いなくミルナの術。あなたはどうやって習得したの?」
震える声を音量いっぱいに上げるとともに、削がれてしまった術式を構え直す。
「もしかして------まさか」
サルミの目は丸くなるばかりだった。他人の術を習得する{写術}はカジール司教しかおらず、ドルイドの見習いでもない少女が扱えたとなると、継承したとしか考えられないし、相当な信用を置いている人になる。
考えられるのは親族となり、年のころからすると――。と、勘案するサルミを察するように少女は口を開く。
「はい------わたしはカジールの孫でファラナといいます。この石もおじい様が造られたもの」
白く細い指先で、愛でるように水色の宝石を触れた。
「原型は月と太陽の光に満ちた鉱山から取れた物なのですが、この石だけ海の色をしていたので珍しく思い持ち帰ったようです。
暗示めいたものを感じたのかもしれません。だからこの石を研磨したのでしょう」
触れていた宝石から、そっと指を離すと、とうとうと語りだした。
「研磨についてはこう聞いてます。丸く削った後、魔法で宙に描いたルーン文字――使用者におじい様が他の方から写した術と、写術そのものが使えるよう施した文様をそのまま石に埋め込んだそうです。
石との相性もよく思いのほかスムーズにいったと話していました。ですが代償も払わなければいけなかったといいますか------。
「------石に術を施す変わりに、自身が術を使えなくなったのです。だからではありませんが、わたしに託してくれた分まで意思を引き継がないといけない」
力を与えられた使命感も働き、決意の固い眼を向けていた。ファラナは強気の姿勢を見せていたかたわら、術を宿した石には弱点があった。
術者がいくつかの魔術を持っていたとき、カジールならいくらでもコピーできたが、石を通じて他者が扱うと一人につき1つの術しか写しえなかった。
石が、その人の資質は貰い受けたとしてるためか、似たような術を写す必要はないとしているか、容量の問題とかは未だに判然としていない。それを詩ってなおファラナは、石の力を信じ杖を振りかざす。
石からクレキの得手とする炎系の術が放たれた。すべてを包み込むかのような火炎であったが、サルミの星術{降星の守壁(スターカーテン)}により無傷に終わる。
サルミの術はオーロラのような壁を作り出し、炎を完全に近づけさせなかった。その様子を、戦意も見せずにいたヒラヌがファラナにだけ聞こえるように、ぼそぼそっという。
「すごい------ここまでお嬢の予知夢が的中しているよ。だけど、あっちにも使い手がいるようだね------イルクナーさん以外に」
イルクナーがドルイド教会から追放された情報は知らなかったが、術が上手く使えないことは、カジールが以前に写しファラナが発動させた夢想術により教えられていた。他にも、ここまでの展開もこれからの展開もまた、詳細に教えられていた。
「風術をさいしたとき、予知夢から知った上で対処してましたね。------となりますと、わたしたちの命運を分けるのは、どちらの術が優れているかにかかってきます」
ファラナは無意識に負けん気を相手に向けていた。すぐに察したビアンカは、お返しとばかりに居丈高な態度を見せる。
「そんなのこのビアンカに決まってるでしょ!」
一言では感情は収まらず、矢継ぎ早に続ける。
「一応言っとくけど、あんたたちのひそひそ話だって知ってるんだからね!」
「あ、そう」
「あ、そうじゃないわよ!」
ファラナの流した対応にビアンカは、眉間に皺がよる。ことにエリアンが、いきなり割り込んできた。
「どうして君と戦わなければいけない?」
一同きょとんとしているが、エリアンはもう回りは見えていない。
「レディーに刃を向けるなんて、ジェントルマンである僕にはできるわけがない。
さあ、ここは僕に免じて矛をしまおう。それにそんなの君には似合わない」
サルミは冷酷なまでに、斜目でエリアンを睨みつけていた。一方ファラナは無視を決め付け、戦闘態勢に入る。
「ちょ、ちょっと待って! 君とは――」
手で制止を促そうとしているが、ファラナは更に無視する。
目にも映っていないかのようにしているファラナは、容赦なく術を唱えた。
ファラナたちが幾重にも見え始める------幻術だ。刹那にファラナたちの幻が散開し、イルクナーらを取囲むように陣を張る。
本物と区別できない幻影が、それぞれに構えを見せ牽制していた。数秒後、虚を突くように、三方から三人のクレキの一突きがイルクナーにめがける。
剣を真横にして槍のように突く、電光石火の一撃だ。と、一瞬前にビアンカの予測の一声を言い放つ。
「真正面、剣の突きがくるからかわして!」
イルクナーは抜いた剣をなぎ払いにし、何とか横に弾いた。
「ほう、幻は教えてもらったとはいえ、わたしの剣を逃れるとは腕を上げたな。わかってはいたこと(・・・・・・・・・)だが」
半ば楽しんでいる様子のクレキに、イルクナーは思わず苦り切った顔をした。クレキは笑みを絶やさずに次の技を繰り出す。
柄の下に手の甲をつけ、剣を炎属性に変えるや、切るように一閃した。と、横殴りのような炎が現れたかと思うと、牙のように迫ってくる。
幾重にも重なった刃のような火炎だ。
「こんなのあらかじめわかっていなくても余裕だわ」
鼻で笑うビアンカは、目の前の炎にさっと手をかざした。すると、炎の節々が丸く光り、そこから爆発が始まる。
爆発は炎全体に広がり、あっという間に打ち消したのだ。――その頃すぐ隣では、サルミが{降星の守壁(スターカーテン)}で防戦している。
ヒラヌの空術{無重力の空撃(ゼログラビティスピン)}(圧縮した空気圧をやじりのように変化させて突き刺す術)を無効化していたのだ。目に見えない空気の矢は{降星の守壁(スターカーテン)}に当たると、水滴が水面に落ちたときのように波打ち、吸収されていくかのように消えてなくなくなる。
消滅するさまは、燃える枯葉にも似ていた。その様子を見切らないうちにサルミは、クレキらの幻影に指を指す。
「エリアン、真正面の右が本物!」
「へっ、さすがサルミ」
そういうや、エリアンが使う光術で{白輝の光剣(ブリリアントソード)}(白く眩い光しか放たない魔法剣であり、物のほかにも攻撃魔法も切り裂く効果がある)を発動し、ヒラヌの肩筋に切りかかった。が、いとも簡単に避けられる。
「おや? 戦いたくなかったんじゃないのか?」
「お前は別」
エリアンはヒラヌを少なからず敵と見なしていたが、それは何も身の危険を感じる相手だからといった理由だけではない。
ファラナにいいところを見せ自分の方がヒラヌより上だとアピールしたいのだ。そのためか、ヒラヌを自分を良く見せるための土台、あるいは恋敵かのように面して睨みを利かせている。
思春期の男の子らしく、可愛い子に一目惚れしていたのだ。サルミはそんなことを知ってか知らずか、気付いたことを生真面目に口にする。
「皆さん聞いてください。------あの写術は完璧じゃないかもしれません」
イルクナーらは敵に注視しながらも、聞く耳を立てる。
「正確にいうと、真似し切れていないといいますか------。以前にギルト司教の幻術を見たときは、わたしの星読みの術でも見破れなかった。
精巧さが違うのです」
サルミは相手の魔力を、星を見るように探知できる術があり、ファラナが幻術を使っても本物の相手を見つけれたのだ。だが、ギルト司教の幻術は、幻影自体にも魔力を忍ばせてあるために容易には暴けない。
「ということだから、負けを認めな!」
勢いづくエリアンはヒラヌの幻影を切り裂き、本体に肉薄した。が、クレキはすぐさま後退し距離を詰めさせない。
「お調子物だな、ここまでのシナリオは知っていたものだというのに」
ヒラヌは事前に教わってあるために自身あり気に語る。が、とうのファラナは眉を潜めている。
自身の夢想術が相手を上回れるか、そこはかとなく疑念を感じ始めていたのだ。サルミの言い当てにより動揺したのもそうだし、ビアンカはレプリカではない術者であり、古代種という未知数な要素もある。
趨勢を決める次の段階で負けるかもしれないと考え、皆の安全を優先し一時撤退も視野に入れていた。
「今なら上手く逃げれるかもしれません。おじい様はわたしから謝り------」
近くまで下がっていたクレキに、囁きかけるようにいった。ただクレキは応じようとはしなかった。
「私は逃げ腰には反対です」
凛とした姿勢を崩さない。
「勝負というものはやってみなければわからないものですし、仮に敗色が濃くなったとしても逃げる策くらいは備えてあります。ですが、一番大切なのは信じること。
私はカジール様の御意思を立派だと思いますし、それは損得を越えたものです。たとえ駄目に終わったとしても悔いはありませんから」
そういわれファラナは、はっとなっていた。先ほどまではカジールの石の力を信じていたのに、今は不安に駆られている。
狼狽し身軽すぎた胸の内を認め、恥じてさえいた。
(わたしもおじい様を信じるだけ――もうぶれない)そう心に決め、クレキとヒラヌに話しかけた。
「わたしも同じ、悔いたりはしません。ですので、お話したことを進めましょう。
次の一手で決まります」
言ったあと、ビアンカらに強いまなじりを見せた。
「どちらが優れていたか、わかるでしょう」
「そんなの、あたしに決まってんじゃん!」
対抗心むき出しのビアンカは、息巻きながら腕をまくる。それが嘘かのように、イルクナーたちに指示を出す態度は、冷静でいながら穏やかだった。
特にイルクナーに話しかける仕草は、どこか艶めかしい。
「エリアンとサラミは、今言ったように攻めてくれたらいいよ。イルクナーはねぇ、とにかくわたしの傍にいたらいいの。ちょっとくらい触れても構わないからね」
そういうビアンカは、肩や手を愛でるように触っていた。イルクナーといえば、ビアンカに意味深げに迫られていても、変に異性を意識していない。
気絶して見た予知夢がこれから始まる状況に酷似し、言い知れぬ不安に駆られていていたのだ。といっても、相手を蹂躙し、凄惨な現場を生み出すかもしれないといったものだけではない。
未来をいいように変えられてしまう力が恐ろしいものに思えてしまい、胸が震えてもいたのだ。今までの夢想術は起こる未来を自身の手で変えていくものだったが、今回みたものは半ば強引で都合のいい方向にしか運ばない。
制御できない、強力な魔術を手にしてしまった恐怖があった。ただ最近の予知夢が外れているがために、易々と信じずにもいる。
結局、ファラナの言う次の一手を見守るしかない。そして、その一手は奇襲をかけるかのように始まった。
イルクナーに幾らか言い寄っていた直後のビアンカが、思いついたかのようにすぐさま反転し、(意図して行ったかは謎であったが、目つきが急変したのは確かだった)ファラナらに向かい魔法を唱えていた。
手から光の粒上が放たれ、ファラナたちに一直線に向かっていくかと思いきや、本人らのほんの手前で急降下し、そのまま地面にめり込んだ。
ずどんという音が不気味に響くその数秒後、地面にできた穴から、少女を浮彫にした幹があっと言う間に這い出た。
意思のない表情をした少女は、手を水平に向けるや、指先が鋭く伸びた。
ファラナたちを突き刺そうと、回転しながら襲い掛かる。だが、かれらに届くことはなかった。
ヒラヌが本数や軌道をわかっていたかのように、空気圧より作り出した刃{透明色の空刃(スピンクリアカラー)}で切断していく。そこにエリアンが割り込んできた。
{白輝の光剣(ブリリアントソード)}を突き向け、ヒラヌに一撃を加えようとする。ただ術の妨害にはなったが、ヒラヌには当たらない。
舞う花びらのように、ひょいと避けられ、避けた隙からファラナの{烈風の神刃(エアスラッシュ)}がエリアンの真正面に肉薄していた。
読んでいたとしても、避けられないほど絶妙なタイミングで放っていた。が、サルミもまたビアンカの指示通り、このときを見計らって{星降の守壁(スターカーテン)}を唱えていた。
ファラナの術はエリアンの手前で、耳障りな音を立てながら消えていった。
「僕は君に傷つけられてもいいけど、他の人は駄目だ。そんなことしてもらいたくないんだよ」
熱弁するエリアンに、ヒラヌはドルイドの先輩として忠告する。
「戦闘中によそ見をするな」
「淑女のためならよそ見の一つや二つわけない」
そういいながらも、次に発動する術のために、意識は集中していた。一方ではクレキが剣で放った{獄舞の火炎(エンファーフレア)}で、少女を象った幹の根元まで焼きつくしていた。
「あたしの芸術品が台無しなんだけど」
「ふん、どうせわかっていたことだったろう」
「わかっていても残念なものは残念なの。でもお返しは、しっかりさせてもらうからね」
そういってビアンカは、エリアンを一瞥した。クレキもまたエリアンを見やる。
二人ともエリアンからアクションが始まり、その一連の流れにより勝負が決すると知っていたからだ。
エリアンが相手の目を眩ますため、光術{陽光の目潰(クラッシュアイ)}を放つが、寸前にファラナたちは目をやられないよう顔を背け、手で光を少しでも遮ろうとした。
ある程度は防げたが、光の余韻が残り、完全には目を見開けない。ここから攻撃を仕掛けるビアンカらと、カウンター狙いのファラナたちの様相を見せた。
場には緊張感が走る。と、同時にイルクナーの眼がわずかに血走る。
自身の意思とは関係なく、イルクナーの体内から魔力が放出されるや、そのオーラが四肢を包み込んでいた。ただ、放つ魔力を制御しきれずにいるばかりでなく、半分意識を失っていたがために、夢想術もそれに連動する格好となった。
ビアンカとファラナが描いた未来を、大きく歪める形となったのだ。ヒラヌらが視力を完全に取り戻せていない隙をつき、サルミが岩石を動かし攻撃する{星痕の衝撃(トランスターインパクト)}魔法で仕掛けヒラヌが防戦になるところまでは予知夢で知れていた。
ヒラヌもまた{無重力の空隙(ゼログラビティスピン)}で防戦を計る。が、その後から予想外------予知夢外のことが起こり始めた。
エリアンが奇襲をかける形で、防戦しているヒラヌに切りかかるはずが{白輝の光剣(ブリリアントソード)}はファラナに向けられていた。本来ならヒラヌを守るべく{烈風の神刃(エアスラッシュ)}で妨害を計り、ヒラヌが防戦しながらも反撃する手筈であるのに、不意を突かれたため接近を許し、術の発動も一発でしかない。
エリアンの{白輝の光剣(ブリリアントソード)}は{烈風の神刃(エアスラッシュ)}を容赦なくぶった切る様子に、ファラナは思わず足がすくんでいた。一方のエリアンは、イルクナーの夢想術の影響を受けていたため、意思を奪われている。
イルクナーと同様に意識も飛んでいた。強力な魔力で支配されているエリアンは、導かれるように動き、ファラナを追い詰める。
ファラナの放つ{烈風の神刃(エアスラッシュ)}を{白輝の光剣(ブリリアントソード)}で払い、ついにファラナの喉仏まで剣先がいく。そのときだ。
イルクナーの意識が戻り、連動するようにエリアンは、ふと我に帰っていたのだ。と、刹那に慌てふためいた声で叫んだ。
「ま、待って、これは誤解だ! どうしてこんな------」
泣き声にも近く、情けない響きが残る。それとともに、イルクナーはすぐさま放出している魔力をとどめようとした。
(虐殺めいた蹂躙などあってはならない。ましてや、エリアンとなると)
そう思う一念が功を奏した。夢想術を制御できるようになり、剣を切り下ろそうとする魔力は消えている。
エリアンはほっとしたのか、胸を撫で下ろしていた。その隙をヒラヌたちは見逃さなかった。
ヒラヌはファラナの術を防ぎつつ、鋭利でない{無重力の空隙(ゼログラビティスピン)}を作り出し、エリアンの後頭部に直撃させた。
「ちょ、ちょっとエリアン、なにやってんのよ!」
敵に手は出さず、無残にやられていくエリアンに、サルミは焦りにも似た声で叫んでいた。が、すぐにその顔つきが強張る。
反撃とばかりに、ファラナの唱えてきた{烈風の神刃(エアスラッシュ)}に対応しなければならなかったからだ。
{星降の守壁(スターカーテン)}を唱え、術を寄せ付けない。けれどサルミはファラナに気をとられすぎていた。
いつの間にかヒラヌに背後を取られ、首筋に手とうを打たれる。
星術に頼りすぎ、物理攻撃には疎くなっていたのだ。一方のビアンカは、戦意を失っていた。
イルクナーの夢想術のお陰で優位に進められていたものの、エリアンと同様に意識が戻るや、一瞬きょとんとしてしまい、その間に剣先を喉元に置かれていた。
隙を突かれていたのだ。
「まいったわね。イルクナーが覚醒したはいいものの、こんな結果になるなんて------。このビアンカでも、建て直しはできそうにないわ。わたし一人ならまだしも、全員をかばいながらとなるとね」
「お前は強いが、お生憎わたしは百戦錬磨なものでね。一縷の穴も見逃さないよう鍛錬されてる」
剣は鞘に収めていたが、射抜くような目つきは向けられていた。
牙はなくとも危険に変わりないといった風に。
イルクナーもまた、エリアンとサルミを人質に取られ、身動きは取れなかった。
ファラナとヒラヌは、少しでも不審な動きをしたら二人の保証はないとばかりに目を光らせていた。