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神々の破滅(ラグナロク)が異世界を救う!? 1/11
「かつて世界の大地は崩壊し、人間と神々は没落したのです」
初老に差し掛かかり、白髪が見え隠れしているギルト司祭はそういうなり、わざとらしく咳払いをした。
幼い生徒ら三人を黙らせるようにと仕向けたものだが、いっこうに口を閉ざしてはくれない。
ましては先ほどよりトーンが大きくなっている。そこで司祭は少々声を荒げる。
「えー静かに。今は授業中ですから------私の言う事が聞けぬ者は、後で居残りで補習ですよ」
司祭は心の中で、日頃この子らを甘やかしすぎたかなと反省をしていた。一方で生徒は皆、前を向き大人しくなった。
居残りと補習の言葉が効いたらしい。ともあれ司祭は、静かになってくれれば何でもいいといった具合で授業を進めた。
「今日は我がジュプラム国の史学を学んでいきます。これは君たちが立派なドルイドの司祭になるために、絶対に知らなければならない知識です」
司祭はふと一息つく。それから数秒後に、朗々とした声で話しだした。
「このミンス教会より東のストーンヘッジ遺跡から発掘された石碑や羊皮紙の数々によって、太古の記憶を読み取れてきています。その中でも最も重要な記述としては{ラグナロク}つまりは世界崩壊、神の破滅を古代よりそう呼んでいるのです」
今日において頻繁に使われている単語であり、ドルイド教の教えの一つでもあった。司祭は手振りを交えながら続けた。
「紐解くと、このように伝えられています。天地開闢より現存する神々は、人間に知恵を与え、衣類、狩猟、建築といった分野で目覚しい発展を遂げさせます。
五穀豊穣を築くまでに、そう時間はかからなかったと。しかし、そこに影が潜んでいた。世界の隅では、峻険な山より生まれた一つ目の巨人(サイクロプテククス)、黒い森の土の中より育った大蛇、冥府の鎖を解いてきたといわれるフェンリル狼が存在していました。
かれら悪魔の子は、人の世すべてを破壊し食い始めます。一つ目の巨人(サイクロプテクス)の持つ棍棒は一角の塔ほどの大きさはあり、一振りすれば地が沈み、大蛇の舌は人を一呑みしていくのです。
フェンリル狼にいたっては、上顎は天まで達し、下顎は大地に下り、太陽まで食らってしまいました。無論、自らの子を奪われた神々は激昂したのです。
手に武器を取り化け物たちに戦いを挑みました。
ここから終わりが始まります。神の杖より放たれた雷ていは、一つ目の巨人(サイクロプテクス)を仕留めるには充分ではありましたが、今際に際に振った棍棒は山や森を小虫のように潰し、一閃をひいた大剣は大蛇の首を綺麗に寸断したものの、蛇頭が最後の力を使い、神めがけ飛こみ、神の頭ごと噛み千切るのでした。
フェンリル狼を屠ったときの状況は、やや異なります。太陽と共に食われた火の神オージンの息子ヴィーザルが、片足をフェンリル狼の口にいれ片手で上顎を掴むと、もう片方の手で業火の柱を放ち、たちまちに四肢を貫いたのです。
高温の熱にも耐えうるフェンリル狼でも、槍のように鋭い火柱にはあっけなく引き裂かれたようです。だが火柱は衰えません。
息絶えたフェンリル狼を無視するかのように、炎は天をもなぶり、ついには神々の住まいまで灰と化してしまうほど激しく燃えたのでした。それほどまでに怒りで理性を失っていたのです」
ギルト司祭は次のページにいくため、講義用の本をさっとめくった。そのときを見計らったように、生徒の一人が手を上げるより数瞬早く質問を投げかけてきた。
「それで世界は崩壊したんでしょ? じゃあ何であの水晶がラグナロクって呼ばれてるんですか? ――そもそも先生の話長すぎ!」
緊張感もなく話す少女ミルナは、思ったことは何でも口に出す性格だった。ギルト司祭は、ぎろりとミルナに威圧をかける。
恣意的にとれる発言に怒ろうとしたのだ。だが、まずは気分を鎮め、講義に集中した。
「その話は後でしますから、まずは崩壊後からです。えー、世界や神の住まいが焼かれ死に絶えたのですが、天空にある常若の国{ディルナノグ}にある森にまでは、炎は届かなかった------そこにいた少数の神によりすべてが復活と成すのです」
腰を折られた格好になりかけた司祭は、口調を強め、持ちこたえた。ただ平然と大欠伸をするミルナを見るや、苦い表情になった。
自分の教え方が悪かったのかと反省もあり、つい深い嘆息を漏らしてしまう。
「神の住処も人や大地も、かつてのように戻ったのです。が、一つだけ変わったものがあります。それは、神はもう我々人間には干渉しないことにしたのです。
フェンリル狼と火の神ヴィーザルのようになったら難儀ですから。ただ、また地を荒らす化け物が現れるとも考えられ、神々は神翼の水晶(ラグナロク)を人に賜れたのです」
{神翼の水晶(ラグナロク)}はジュプラム王国建国より前から存在していた。
建国の際、神秘の物として聖なる遺物扱いになり、神の教えを説くドルイド教会が管理するようになる。水晶の大きさも、教会を飾る上で丁度よかったのかもしれない。
縦横は、共に大人数人分の伸長にあたり、長さはその数倍に及び、立体六角形と先端と底が錐になるその形は、壮麗な塔にも似ていた。
また、古来から現在に至るまで、地表より人の体半分くらいのところで浮いていた。
浮遊状態であるのは、古くから神の御業であるとの認識が強い。
「言い換えれば、神の力を授かったと言っていいでしょう。ただ今のところ、神が人に直接に言い渡された記録は存在しませんが。
遺跡の壁画や古文書からの文献には、記されていませんでした。ですが、私やあなた方が{神翼の水晶(ラグナロク)}から得た力で、証明されているのです」
ミルナの横に座る少年イルクナーは、ギルト司祭の授業を受けながら、力が自分の身に入ってきたときのことを思い出していた。イルクナーは一年ほど前に、初めて神翼の水晶を目にしたとき、その大きさと宙に浮いている不思議さ、更には礼拝堂などで見せる穏やかな顔とは間逆の厳しい顔つきの司祭が放つ空気に困惑してしまい、ひざがわずかに震えていた。
しばし立ちすくんでしまっていたのだ。しかし周りにいた司祭らに促され、恐る恐る{神翼の水晶(ラグナロク)}に触れるや、その腕から小枝を掛け合わせたような文様が、まるで体内から隆起するかのように、青白い光となって浮かび上がってきたのだ。その瞬間、回りの雰囲気が一変した。
新たな魔導僧の誕生に、歓声にも似たざわめきが、司祭たちの中から溢れ出していたのだ。
今にして思えば、それはごく自然のことだった。
そもそも大抵は神翼の水晶に触れても、何も異変は起きない。
起きるのはごくわずかの人でしかないのだ。
その人数も、国中から毎年数千といった子らを集めても、十年でほんの数人程度でしかない。当然、文様が浮き出なかった子は、何の力も備わっていない。
ドルイドの魔導僧にはなれないことを意味する。
また、なれない理由も判然としていない。イルクナー自身、なれなかった子と比較してもどこがよかったのかわからなかった。
運なのかなと結論付けるしかなかった。イルクナーの傍では、司祭たちが歩み寄り、祝辞の言葉を述べてくる。
どこか期待に応えたといった高揚感すらあり、イルクナーは素直に嬉しかった。と、そんな思い出に浸っているときに、不意にギルト司祭がイルクナーを名指しで呼んだ。
「ではイルクナー。君が{神翼の水晶(ラグナロク)}により得たものを述べてみなさい」
イルクナーは呆けていて、ぼんやりとしたままだった。が、数瞬経ってから、慌てて姿勢を正ながら答える。
「は、はい。僕は夢想術を体得しました」
厳密に言えば、予知夢の力であった。
夢で見たことが必ず現実になるというものだった。逆に言えば、災難を未然に防ぐことに利用できた。
例を上げればこうだ。とある日に、何日後かに豪雨により川が氾濫し、農地や田畑が水害に見舞われる夢を見て、そのことを皆に伝える。川沿いに堤防を築くや、夢に見た通りになるので、水害を抑えれるのである。
非常に重宝される術なのだ。ただし、他にも活用されている。
この世界に存在する魔獣(フェンリル狼の子孫と伝えられている獣)の対策だ。現れる刻、場所はおろか、その戦いの行動まで夢によって把握できるので、戦う前から魔獣が牙を向けたり隙を見せるタイミングなどを教えておけば、戦う者は出方をうかがうことはなくない。
相手の隙を計ったかのように突けるのである。ギルト司祭もまた、その一人であった。
戦いに特化した人間ではなかったが、手に取るように読める魔獣に、完勝を遂げるに易かった。
「君はまだ理解していないかもしれない。でもよろしいのです。
イルクナーの得た術は、人の暮らしに安寧をもたらしているとだけわかれば、今は問題ありません」
照れ気味になったイルクナーは、ややうつむき加減になった。その様子を見たミルナは刹那に前のめりになる。
「確かに役立ってるかもね。でもね先生、やっぱわたしの方が、凄いと思うの。
だってわたしの風神術なら前もって知らされなくても、魔獣なんてなんとかなるし」
どうだと言わんばかりのミルナは、イルクナーを一瞥し勝ち誇っていた。と、大人しくしていたニーサが、ミルナにだけに聞こえるように囁いた。
「駄目だよミルナ。指されてもないのに勝手に発言しちゃ」
「わかってるって! だけど本当のことなんだもん」
悪びれずに言うミルナは、頭の後ろに手を組んだ。黙って様子を見ていたギルト司祭は、堰を切ったように話し出す。
「いいかねミルナ。それぞれ皆が人のために貢献しているものを、誰が優れているという観念は良くない。ニーサも含めて全員立派なのですよ」
「うん。だだ実戦経験があるのはこの中でわたしだけ------」
「そうだったな。――確か大怪我付きでもあったがね」
「あ、あれはちょっと油断したから------」
狼狽しているミルナは、目の焦点が何処にも合っていない。
「油断も実力のうちです。それに、そのときの傷を誰が治しましたか?
そうです、横にいるニーサですね。つまりは誰しもの魔法や術は稀少なもので、尊重しなければなりません。わかりましたね?」
渋々こくりと頷くミルナの表情は、いまひとつ納得していないといった感じが皆に伝わっていた。ただギルト司祭は、意に返さず話を進める。
「授業を進めますよ。次に述べるは、ミルナやニーサの成長です。
最初の頃は、そよ風ほどの風力でしかなかったものが、今では子供の魔獣であれば、吹き飛ばせるまでになりました。ニーサの魔力も同様です。
これから年数を重ねれば治癒だけでなく、更なるが期待できるでしょう。しかしながら、巨大な魔力は得てして、恐ろしい凶器にもなるのです」
ギルト司祭は間を置くように、こほんと小さく堰をした。
「そのような力を授かっているのです。だから神翼の水晶をあえて{ラグナロク}と呼ぶようになったのです。
逆の意味で捉えておくということですね。破滅の力を秘すると認識していれば、戒めになり、絶対に間違いを犯さないようにとの強い意思が込められています。
今日の授業はこれで終わりますが、みなさん肝に銘じておいてください」
三人とも勢い良く返事をしたすぐに、他愛も無いお喋りをし始めた。ギルト司祭は思わず深考を巡らす。
(何年かしたら、この子らは巣立ち司祭になる。そのとき世界はどのようになっているものか------)
一抹の不安を覚える司祭は、ふと窓の外に目を向けた。今にも降出しそうな雨空に、幼い三人の未来を重ねていた------
闇の刻、丘陵にも似たなだらかな山を、ジュプラム国を表す鷲紋章がついた鋼の胸あてを装備する二人の王宮兵士が、足音を立てないように登っていた。
彼らの持つカンテラの灯る明かりは、誰かに見つかるまいとするかのように自分らの足元を照らし出すだけの弱弱しく調整されている。
微弱な灯りは、どこか心もとない感じは否めなかった。それでも彼らの足取りは、使命感からであろう、乱立する針葉樹やあばらに生えた草に邪魔されても怯(ひる)むことはなかった。
おぼつかなさの欠片もなかった。その勢いで山の中腹まで来ると、前を行く一人の兵士が足を止めもう一人の方に振り向いた。
「頂上までいってもいいけどよ、俺たちは巡回で来てるだけだし、ちょっとくらいさぼってもいいだろ」
前を行っていた兵士はそれとなくいい、中腹から見える一面の草原平野を見下ろした。
黒い帳が降りた平野を、睨みつけるようにも見ていた。そこには闇夜を照らす煌々とした一点の光が、遠くからでも容易に見て取れる。
光は淡いオレンジ色を放ちながら、海藻のように揺れていた。そのうちに後ろにいた兵士が吐き出すように喋りだした。
「なあ、あれって俺たちが野営してる篝火の明かりだよな?」
不安の色を浮かべながらいった。近くで聞いていたもう一人は、溜息混じりで応える。
「どう見たってありゃあ篝火だろ」
「だよな------。となると不安だよ。かえって魔獣を引き付けてしまうんじゃないかって思っちまう」
この世において、魔獣とはフェンリル狼の呪いと呼ばれ恐れられていた。神に屠られた恨みとして冥府よりフェンリル狼の眷属である魔獣を数多に送り込み、憂さを晴らさんとしているのだと。
死しても怨念は消えぬと信じていたのだ。呪いといわれる理由はそれだけではない。
どこで生まれ、その個体数がどの程度のものかは、ほとんど把握できていないために、一層不気味についてまわってもいたのだ。ただし、確かなこともある。
人を襲う化け物であることと、その強さだ。狼の体躯は人の何倍もあり、その牙は口から剝き出しになるほどの大きさを誇り、硬質さは人の肉など溶かすように切り裂くことができた。
姿形も異様である。一つの体から二つの頭より成り立ち、4っつの目は常に白目を剝いていたが、闇の中でも1km先でも見渡せ、猪のような鼻はその数倍の距離の匂いを拾うことができた。
「引き付けるか------あり得ない話じゃないな。ただそうなりゃ、ここにいる俺たちは安泰ってことになるかな」
暗い雰囲気を壊すかのように、かかと笑った。もう一人の方は、落胆の様子をみせる。
「あのなあ、この任務自体貧乏くじを引かされたようなもんなんだぜ。いくら警備を強化しようたって、こんな僻地まで------」
「これはないよな。いや、ないところの騒ぎじゃないな。
なにせ王国騎士団の考えといったら------」
「ドルイド教会への出し抜き------か」
王国騎士団の思惑にはこういった背景がある。教会に喧嘩を吹っかけても魔術による報復を恐れ、また可能な限りの厄災を取り除く社会的立場から、王国は体裁上ある種の特権を認めてきた。
特定の自治権、税金免除、裁判権等々である。それを面白くないとするのが、我の強い王国騎士団である。
陰では、自己満足集団とも呼ばれていた。
腕は一流なためか己に溺れる傾向にあり、主張を曲げにくい。
ときには、齟齬となるや、事実を曲げようと脅しつけることもあった。しかし理念を理解する者、従順な人には優しいとする宗教みたいな側面もある。
「ここに飛ばされたってなると、嫌われているだけじゃなさそうだ。捨て駒っておまけ付きかもしれん」
「言ってしまえばそうなるかもな。でも奴らは、妙に頭が回る厄介な連中だし、逆らえないのが現状だろ?」
「反論が難しいだけさ。魔獣や野党団を追い払えば、教会の必要性が薄れる、強いては税金とかの免除がなく公平になるっていわれりゃ、まあそうかってなるよ。
もしかしたら俺たちの給与も上がるかもって話だ。それに、魔術は反則だっていう主張も受けてるっちゃあ受けてるし」
目を軽く瞑り、首を左右に振りながら溜息をつく。
「反発したところで、少なくとも誰も助けちゃくれないぜ。でもさ、せめてこいうい巡回は、腕が立つわけだし騎士団がやりゃあいいのにな」
「試しているのさ。成果を上げたりふて腐れずに大人しく従うかって。その逆もあるけどよ」
「気に入らない奴は捨てるようなやり方がむかつくんだよ。あーあ、何かいいことないかね」
気晴らしをするかのように、暗がりの中、鬱蒼とする辺りを見渡した。そのとき遠くの木々の方から、かさかさっと音がした。
小動物が移動したときに葉をかすめたような風であった。微かな音に二人は、気にも留めなかったが、それから数秒後、顔面蒼白になった。
木々の間の草むらから、二匹の魔獣が、まるで獲物を見定めるように、ゆっくりと近づいてきたのである。数瞬後には、一気に二人めがけて疾走してきた。
唸りながら突進してくる二匹の魔獣は、丸呑みせんとばかりに、口を大きく開いてきた。そのときであった。
喰われんとしている一人の兵士は、斜向かいから見知らぬ青年の突進により弾き飛ばされ難を逃れ、片方の兵士を喰おうとした魔獣は、すんでのところで痙攣している。
顎から頭蓋骨にかけて下から剣が刺されていたのだ。兵士や魔獣は、一瞬何が起こったのかわからなかった。
困惑のためきょとんとしていた。が、刺された魔獣の目の前にいた兵士が、青年の鎧に彫られた白鳥の紋章に気付くと思わず叫んだ。
「ド、ドルイド司祭!」
白鳥は、ドルイド教会を表すものとして古くから使用してきたもので、一般の人でも広く知られていた。
ドルイドの神話によく登場する動物だから用いられているとされているが、詳しいことは誰も知らない。突き飛ばされた兵士にいたっては、興味すらなかった。
ただただ、目を丸くするばかりだった。
青年は白銀の鎧に身を包み、やや茶色ががった頭髪は、まだ幼さは残るが凛々しい顔立ちによく似合っていた。
瞳はきりっとしているというより丸みを帯びていた。が、頭を一つ潰した魔獣を見据えるときの目は、眼光鋭いものがあった。
白目を剝く魔獣に臆することがなかった。対する魔獣は、ドルイド司祭を危険と見なし、二匹で追い詰めようとしていた。
片方がわずかに横に逸れ、挟撃の構えをとった。青年イルクナーは、そこでくすりと笑う。
「毎度の事ながら、夢の通りになるな」
そういいながら、剣を構え魔獣の攻めに備える。ただ、剣を向けるは、さきほどから顎
からぼたぼたと血を流している------顔の目は閉じたままで頭が垂れ下がったままの、壊死
した魔獣だけに向けていた。
もう一匹に対しては、まるで無視しているかのように、一瞥すらしない。魔獣はここぞ
とばかりに、同時に襲い掛かった。
頭が潰れた方は前足の爪で、片方はイルクナーの顔を噛み付こうとした。しかし、二匹
の攻めはイルクナーには届かなかった。
前足で引き裂こうとした爪は、難なくかわされた。もう一匹は、見るも無残であった。
二つの頭を繋ぐ首と胴体とが、兵を突き飛ばしていた一人が風術によって綺麗に分断
されていたのだ。兵士たちは混乱しながら、目を大きく見開いていた。
何が起こったのか理解できないといった顔つきになり、唖然としている。その眼界では、魔獣の攻撃を、イルクナーが華麗にかわしていく。
(その次は、また爪。そいつを剣で防ぐと、じれたか体当たり気味に牙で噛み付いてくる。かわせば、こいつは前のめりになった体勢を俺に向けなおそうとする。その隙を狙って剣をやつの頭に突き刺せばすべてが終わりだ)
事がイルクナーの読み通りに進む。だが、途中から変化が生じた。
体ごとぶつけにきた魔獣は、かわされた後、その勢いで近くにあった太めの木を駆け上がり、宙を舞うようにしながらイルクナーめがけて飛びかかる。
背面を地に向けながら、逆さまの格好で牙を向けた。予想外の動きにイルクナーは、少なからず動揺した。
「なっ? こんなの夢には------」
焦るイルクナーを尻目に、魔獣は口を大きく開き、鎧ごと噛み潰そうと肉薄していた。
イルクナーは咄嗟に牙をかわす。が、焦っていた数瞬が、かわす判断の時間を遅らせていた。
牙が鎧を貫き、イルクナーの肩から血が噴出す。近くにいた兵士達の木陰に隠れていたミルナが思わず声を出した。
「お、おい。まさかこれも予知夢の範囲内じゃないよな」
いいながら助力のために、術を唱える構えを見せた。その後、数秒後には瞠目する。
イルクナーが意地を見せたのだ。魔獣は傷を追わせた後、今度は体勢を整えようと、四肢をよじらせながら前を向こうとしたとき、すでにイルクナーは目の前にいた------気付いたときには、刃が魔獣の顔面に突き刺さっていた。
傷を負わされた瞬間、一か八かで追っていたのである。もし、そのまま遠いところまでいかれたら水泡に帰すことになっていたが、上手くいくような気がしていた。
「何とかなったか------。そんなことはともかく------予知夢が外れた?」
独り言を呟きながら、傷口を手でそっと押さえる。そこに心配そうに駆けつけたミルナが、怪訝そうに声をよこす。
「大丈夫か? それよりどうしたんだ? 今までこんなことなかっただろう------単に気が抜けてただけか?」
イルクナーを真っ直ぐに見つめるミルナは、皮の胸あてだけを装着した簡素なスタイルであった。見た目や性格も、そういったものに反映されてるといっていい。
金色の髪を短めに刈り込んであるミルナは言葉の発し方といい、女の子でありながらボーイッシュに見られることが頻繁にあった。ただよく見れば、美人の類に入る。
目鼻立ちがくっきりしていて、細身でありながら健康的であり、比較的白い肌も見栄えよかった。とうの本人は、興味がなく、ひたすらに自分の能力を磨き上げるのに従事していたが。
子供の頃から、自分に与えられた風術は、何よりも気に入っていたのだ。
最初に魔獣を寸断したのも、ミルナの風術の一つである{烈風の神刃(エアスラッシュ)}によるものだった。ミルナの手より放たれる見えない刃は、一つの疾風となって相手に襲い、後には一刀両断されたようになる。
岩や鋼であっても防げない威力をもっていた。ミルナはいつも誇らしげに、そのことを語るのだが、今日はさすがに自重した。
「とにかく傷の手当が先だな。一人で歩けるか?」
「そんなに深くえぐられたわけじゃないし、大丈夫。それよりさっき問いの答えだけど、率直にいうと予知夢が------夢想術がおかしくなった。
微妙にずれたんだ」
訥々と話しながら、頭の中で必死に原因を探していた。ミルナはそれを察してか、わざと明るく振舞う。
「そうだったのか------。まあ気にするなよ。気にしすぎて駄目になるってことは良くあるだろ?
だったらあまり沈考せずにいることだよ。それに、ゆっくり休めば元に戻るかもだしね」
術の本質的なものもあるが、考えすぎるイルクナーには、根つめない言葉が一番いいだろう、そう思っていた。イルクナーもミルナの快い励ましに、心が軽くなっていた。
「そうだな------。疲れが溜まっていただけかもしれないしね」
やや気丈にするイルクナーは、肩口の傷を見やった。ミルナは両手を腰につける。
「そうそう。だからもう帰ろ。
休むときに休まないとね。それとニーサに傷見てもらわなきゃ」
「やれやれだ」
そういいながら、くるりと立ちすくんでいる兵士達に向き直した。
「あんたたちも早く、野営地に戻った方がいい。また助けがここに来ることはないし、魔獣がもうでてこないともいえないから」
傷がやや痛むのか、押さえる手の握力が若干強くなる。そこを見据えていた一人の兵士がぴくりと反応した。
「わかった。そういや礼がまだだったな。------助かったよ」
そういい残し、力の抜けた足取りで、来た道を引き返していった。
彼らが去ったあと、イルクナーは篝火の光の中をしばし見つめていた。その光の奥にある、かすかな幻影を掴めれば、真実の答えが見えてくるような気がしていた。