神々の破滅(ラグナロク)が異世界を救う!? 2/11

index  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

「え? どうしたの、その怪我? 何かあったのイルクナー?」

 ドルイド教の本殿であるミンス教会に戻ってきたイルクナーを、出迎えたニーサは目を丸くしながら心配そうにする。だが、すぐに術を唱えようと両手を自分の胸の近くに寄せる。

「まって、今治してあげるから」

 そういってから、指が両手にわずかに合わさらないところに止め、そこに集中する。

{癒水の安らぎ(パウフキュア)}

 水術である快癒の魔法を、ニーサは意のままに操る。

手から淡い光の粒がいっぱいに広がり、たちまちにイルクナーの傷口に注がれた。それから少しの間を挟むと、イルクナーの身体に変化が起こる。

傷はみるみる塞いでいったのである。

「さっすが。久しぶりに見たけど、前より質上がってんじゃない?」

 横から口を挟むミルナは、揶揄するように軽く口笛を吹いた。

「からかわないで! それより、どうして------」

 不安げなニーサに、イルクナーは冷静な装いを見せながら事情を話した。

「そんな------。原因は------わからない?」

 戸惑いと焦りの色を浮かべるニーサは、心配のあまり思わず固まってしまう。

 ミルナもまた渋い顔つきになっていた。

 それもそのはずだ。個人的なことがあるにしても、イルクナーの夢想術は人的被害を未然に防げるものであり、その術が危ういとなれば、少なからず人命を落とすことは明白。

更に言えば、イルクナーによって高まっていたドルイド教会の権威が失墜しかねないなど、問題は増えていく。

 イルクナーの担っている役割は大きく、二人も熟知していたのだ。イルクナーは、心配そうにしている二人を杞憂ごとのように払拭しようと、平然を装う。

「答えから言えば、そう。------まあ、ミルナにも言われたけど、疲れが溜まってるだけまもしれない」

 微笑をこめて話すイルクナーには、鬱々とした気配を殺している。それでもニーサは、顔を曇らせる。

 イルクナーが強がっていると看破していたのだ。

「そうなんだ。------私ね、イルクナーの力になれるんだったら、いつでも協力するし、弱音を吐いてもいいんだよ?」

微笑むニーサは常に優しく、思いやりがあった。おまけに可憐で美しく、ぱちりとした瞳は愛らしくも慈愛に満ちている。

「------そうするよ。でも今は大丈夫だから」

 甘えすぎてはいけない、そんな思いがあり、つい突き放すようにいってしまった。ただニーサの言葉は嬉しかった。

「ならいいけど------。あ、もうこんな時間だし、休んだほうがいいよね? 病み上がりみたいなものだし」

「病み上がりって言えばそうだけど、全然平気だよ。------もっとも遅いのは確かだし、ミルナも眠そうか」

 イルクナーはミルナを一瞥するや、おやおやといった感じで微笑した。ミルナは欠伸をしながら頷く。

 手を口元に添え、もう寝ようと促しもした。

 教会の窓からは、とうに月の光が綺麗な斜を描きながら射していた。これから闇へと潜り込もうとする三人とは対照的に、煌々と輝くばかりであった。

 

ミンス教会より南西にあるタルミ村に、イルクナーは一人立っていた。

 夕暮れ時で、白く塗られた建物群は、暁の光により、火をつけたかのように彩られていた。ただ、イルクナーの目にはぼんやりと映っている。

 鮮明さに欠けていた。

 (この前見た夢より、ぼやけるな)

 夢の中で独り言を呟いていた。そうしているうちに、霧が晴れてきたかのように視界がひらける。

(術の精度が落ちてるわけじゃないよな------。ん? そろそろ来るか)

 不安が混じりながらも、とある一点に目を据えた。先には、白髭を蓄えた村人が鍬を持って、のっしりとした感じでこちら側に歩いている。

(なるほど、そういうことかな)

 予知夢の始まりは大抵、時間と場所を情景によって知り、必ず襲われる人が現れ、相関関係のように魔獣も出てくるのだ。------村人の臭跡を拾った二面を持つ狼が、白目を剥きながら食い荒らさんと迫っている。

 耳をつんざく咆哮も凄まじかった。だがイルクナーは物怖じしない。

 神経を集中させるにつれ、すべての動きが、まるで水中にいるかのように遅くなる――夢が現実になるだけではないのだ。

 かく乱しようとする動き、振りかざした爪の矛先、噛み付こうと肉薄しようが、読みが容易になるのである。ただこちらも伴って、動きは鈍い。

 剣を持つ腕は、鉛のように重く感じる。ただ考える速さは支障ない。

 夢の世界でなければ判断した時点で噛み付かれているが、この場ではまだ一歩ほどしか詰められていないため、飛びかかってくる前には判断できる。

思考が全体の動きより抜きに出てるため、獣を避けれるのだ。また。避けている間にも次なる一手を考える余裕がある。

(こいつの攻撃をかわすのもぎりぎりになりそうだな。------もっとも、今一刺しすれば、終わりか)

 案の定そうなる。避けているとき、イルクナーは剣を自分の元いたところに突くや、そこに飛び掛ってきていた魔獣の脇腹にタイミングよく命中した。

 まるで投げたりんごを、横から細剣で突き刺したかのようでもあった。

魔獣は脇から黒ずんだ血を噴出しながら、舌をただれ、事切れた。

(あっけなかったな------。

これならミルナたちの出番はなくていけそうだ)

 夢想術のもう一つの特徴――味方の幻を作り出し、戦いを想定できるのだ。獣の数や出方で限界がきたとき、想像した人を自分の意思で動かしながら仕留める。

今夜王宮の兵を助けたときも、こうした夢想術を使っていた。しかし今はそれを行う必要もなかった。

(たまにはミルナを出現させないのも悪くない。後は、いつもどおり夢が当たればいいんだけど)

 一抹の不安を胸に抱いてしまう。その想いを助長するかのように、夢は終わる気配を見せなかった。

(まだ続きがあるのか? 違う------魔獣じゃないみたいだ)

 辺りはいつの間にか、眠り眼(まなこ)で見るようかのように、おぼろげになっていた。そうなるや、情景が凄まじい勢いで歪んでいくのがわかった。

 まるで空間ごと捩(よじ)れていくようであった。が、幾許かに収まり、ぼんやりとしていた視界もくっきりと見えてきた。

(骸(むくろ)となっていた魔獣は、もういないか------。だとすると、ここは------)

 見渡すと、どこか洞窟めいた地下の、とある一角にいた。

 壁には、所々に備え付けられた蜀台から、ろうそくの火が弱弱しく踊っている。と、微かに揺らめいていた明かりが、蝋から零れ落ちそうになるほど激しく揺らいだ。

 簡素なローブを纏った女人が、すぐ傍を通りかかっていたのだ。手には、一輪の花を優しく持っている。

まるで小動物を抱えるかのようでもあった。女人は、回りを見て誰もいないことを確認すると、ふいに立ち止まり腰を下ろす。

(俺はとりあえずいないこと(・・・・・)になっているのか。だからといって、ただの夢でもなさそうだな)

 知覚が脳に、そう教えていた。

 かつての経験や直感も手伝っていた。一方で女人は屈(かが)み、土を忍びやかに掘り返し、手に持つ淡い紫色の花の根っこをまろばかすように埋める。

「これでいい。さて、うまくいくかしら------」

 そういうや、花の上に言葉を唱え、銀砂を振りかけた。するとどうだろう。

 非常な大きさに膨れ上がり、扇のように開かれた花びらの芯から、裸形を自らの髪で包んだ少女が眠っていたのだ。

エメラルドグリーンのような色合いの髪は、外の空気に触れると、微かに揺らいだ。柔らかい肌にかするや、少女の意識は敏感に感じ取る。

うっすらと瞼を開き始めた。そのときに巨大化した花に変化が起こる。

 花びらが一斉に散り、茎はたちまちに萎びれたてしまった。

 少女を支えきれなくなった茎は折れてしまうが、落下する直前に少女を女人が両腕で優しく抱え込む。

(抱いてる方は黒髪のせいでよく見えないな------。それにしても驚いた)

 目を丸くし困惑していたイルクナーは、思わず唾をごくりと飲む。対する女人は、訳知り顔で抱く娘に語りかける。

「あなたの瞳と髪の色が一緒だから名は------。ってそんなのつける必要ないかしらね」

 冷笑的にいうなり少女を置き去りにして、風のようにどこかへといってしまった。すると入れ変わるかのように、見た目からして不穏な数人の輩が闊歩してくる。

 目は沈み気味で露出している肌には無数の切り傷、窃盗で得た毛皮をだらしなく着用していた。そのうちの一人が、目ざとく少女を見つける。

「何だあの巨大な枯れた花は? ん? 女もいるぜ!」

「------いやホントにそうだぜ。しかも上玉じゃねえかよ!」

 本能から盛り上がっている二人は、狂気に似た叫びを上げていた。そこに二人の影から出てきたかのように、長髪の男が後ろからすっと躍り出る。

「落ち着けよ。まあ、これは俺たちがかすめた中でも一番ってところ------騒ぐのも無理ないか」

 口角をわずかに上げるようにして笑みを浮かべた。

「使い勝手は凡百(ぼんぴゃく)とありそうだ。おっと考えてる時間は後でもいい、ありがたく頂いていくか」

 男はそういって、おもむろに少女の腰に手を回そうとした。少女は男の悪臭と獣のような目つきに怯え、体が震え動けない。

(まずい助けなきゃ。でもどうやって)

 叫んでも声はなく、近づこうにも実体がないのだ。そのとき急に、辺りが歪み始め、自身も地面にできた穴に吸い込まれていった。

 まるで奈落に貶められたかのような感覚になり、思わずわあっといった声で叫んだ。と、同じくして目が覚める。

(夢------何とかしないと。でも、まずは魔獣の退治が先か------)

 荒れた息を整えながら、激しく打つ拍動に、思わず手で胸を鷲づかんだ。それからしばらくして落ち着きを見せるや、ふと物思いに浸る。

(ドルイド教会に入ってきて十年------早いものだな。あれから司祭にはなれたけどまだまだ半人前。

体が大きくなっただけで進捗はない------いや、これからだ)

 そう思いながら、手を庇がわりにして、窓に目をやった。

 窓越しの向こうから、小鳥の鳴き声と、気持ちのいい陽光が差し込んでいた。

 ジュプラム王国は王都カナイを中心として、国境にあたる北の支都ロンデガン、海に面した南西の支都エシュバの三つを主としていた。中でも王都カナイは、人や物など煩雑に溢れ、王都にふさわしい殷賑さを見せていた。

ドルイド教の本殿、ミンス教会のみにあらずといった面を、まざまざと見せ付けるような所であった。大きな路地には鈴なりになった人々が輝く音を奏でる楽師を囲み、商店が並ぶ軒先には、皮と肉のみとなった鳥が、稀に豚の頭さえも吊るされている。

そこを窮屈そうに歩く人の群れと同じように根菜類と柑橘類が店台に詰められていた。だが人の多い王都では、明るいものばかりではない。

裏通りでは、窃盗を生業とした人間と王都兵の追いかけっこが、屋根瓦が剥がれた安長屋を舞台に、そこらに転がっている小動物の骨を踏みつけながら繰り広げられている。それをやむなしといった目で、都全体は見ている。

雲霞(うんか)にあるところ、むしろ自然と見なされていた。とはいえミンス教会は、道徳的な問題もあり、安全な王都の城近くに設けられてある。

巡礼者の身の安全と、紛れてくる不審者の監視をしやすくするためでもあった。

{神翼の水晶(ラグナロク)}が祭られてある神殿教会は立派なものだった。礼拝堂の正面入口の扉の上には、青銅でできた白鳥が飾られていて、扉の傍らに置かれた、{豊穣の女神ステフ}像は教会の守護神の役割を果たしている。が、それだけではない。

見た目の美しさにより、少女らの初恋の相手を担っていたのだ。とりとめのない罪を犯しているとも知らず宙に浮いたままの気持ちで中に入ると、その想いは更に膨れ上がる。

大きな礼拝堂の壁に飾られた絵に心奪われるのだ。フレスコ画に描かれた天使は、まるでパスディアの磁器を思わせる面が淡い金髪の後光に包まれ、瞳といえば陽に透かした月桂樹の葉のような緑。

まるでエメラルドのように澄んでいた。その瞳の先には、意匠された祭壇と、もう一つとを見つめている。

かつての司教が生前退位し、教会すべてを統括する立場である司教の位を譲り受けたギルトだ。白髪頭は、採光窓から入る光りによってより白く映える。

祭壇に、片手で頬杖をつきながら入口の扉をじっと見つめていた。と、扉が忍びやかに開かれる。

ギイッとした低い音が、静寂の彼方に響き渡る。残響の中、開け放たれた扉にはニーサとミルナが立ち、歩み寄って来る。

「ギルト司教様、ご報告に上がりますが------。申し上げる前に、戴冠式の疲れはありませんか? 近々のことで無理があってはなりません」

 ドルイド教会ではドルイドの人間に対し、ランク付けというものがある。18を越えると司祭になれるのだが、まずは下級司祭から始まり、その後、戦果を上げたり術の威力が増したりしていくと中級、上級と上がっていく。

当然ながら上級司祭は、ドルイドの中では重宝される。だが魔力は大抵、日々の鍛錬であったり、年齢を重ねて成長していったりするものなので、上級司祭に到達するまでは時間を要する。

早くとも30歳を過ぎたくらいで、ようやくなのだ。それが司教ともなると(上級司祭の上のランクで、術の強さだけでなく、教会や国への貢献度まで加味されるため栄誉職といわれている)辿りつくまでに数十年はかかり、栄誉が称えられる。

式が執り行われているときでは、尊敬の眼差しで迎えられるのだ。ただ、まわりからの期待も高く、無言の中で精神の強さも問われたりもする。

ギルト司教は先週、まさに戴冠式を終えたばかりであり、周囲の期待も圧もなんのそのといった感じだ。けれどニーサは、慣れないことであろうと気遣う。

微笑を浮かべながらも、真剣な眼差しでもって話しかける。ギルト司教はそれを嫌うかのように手を左右に振った。

「問題はない。それよりニーサ、及んだことを話せばいい」

 まるで機械のような口ぶりであった。ニーサはその様子を見ても、愛想よく応える。

「わかりました。でもわたしより、その場にいたミルナに任せますわ。活躍したミルナがお話した方がいいに決まっていますし」

「面倒くさいなあ。でも活躍したってのは正解だしな」

 やれやれといった素振りを見せながらも、どこか嬉しそうにしていた。それから得意げな顔つきに変わり話し出す。

「簡単にいいますよ。山賊がでるっていう件の山で、イルクナーの予知夢通り王宮兵がフェンリル狼に襲われそうになってました。

そんでイルクナーが相手にして------。だけど二匹いた狼のうち、一匹は想定外のことが起こったらしく、ピンチになったところをわたしが臨機応変に助けましたよ。

もう迅速な対応ったらなかったありませんでしたよ。それに、わたしの{烈風の神刃(エアスラッシュ)}の凄さといったら、かなう生物なんていないと思う」 

手を横に振りながら、見せてやりたかったと言わんばかりになっていた。ギルト司教はその様子を見るや、手振りで制止に入る。

「よくわかった。にしてもイルクナー------気になるな」

「ええ。ミルナは疲労からといってますし、イルクナー自身もそう感じているようですけど------」

「ならいいがね」

司教は小さく肩をすぼめ、にべもなく応えた。不安を掻き立てる言い方に、ニーサはたまらず反応する。

「きっとそうです。------でも、もし心当たりがあるのでしたら------」

 眉をひそめ、ささめくようにいった。

「あったらお前たちにも話している。------とうの本人はどうした? さっきから顔もみせずに」

「初めていく村だから、早めに行くって言って朝早くに出て行きましたよ。

見ておきたいもんがあったんでしょ。あ、そうそう、魔獣は一匹しかでないそうだから一人で大丈夫って言ってた」

 あっぴろげに話すミルナは、おもむろに頭の後ろに手を組んだ。ニーサは眉をひそめたままでいる。

「そのことは聞きましたわ。------あの、一人で本当にいいのでしょうか? 誰か一緒についていくべきかもしれません」

「なんならニーサが行けばいいんじゃないか? ていうか、ついていきたいんだろう?」

 したり顔で話すミルナは、肘(ひじ)でニーサの脇を軽くつついた。すると、途端にニーサは顔を赤くする。

「ち、違います!わたしはただ念には念を押せば、禍(か)のようなことがあっても、首尾よく収まると思っているだけです」

 態よく取り繕ったと思っているニーサは、妙に必死でいとけなかった。二人のやり取りに司教は思わず嘆息する。

「児戯はよしなさい。重要なのは、奇禍を絶対避けることだ。

 わかったかね? わかったならば二人共々、補佐役として手伝ってきなさい」

 やや間を置いてから、二人は小さく頷いた。司教は二人の首肯(しゅこう)を見るなり、言葉を続ける。

「お前たちはこの世の脅威をなくし、安寧をもたらす者だ。しかしだ。

 もしその道を逸れてしまったら、故意でなくとも、許されはしない。------そのことを肝に銘じておいてくれ」

 そう言うなりギルト司教は、追ってくれるなと言わんばかりの素振りを見せつつ、教会の奥まった一室に歩んだ。

 二人は無意識のうちに目で司教の背中を追っていたが、奥の扉が閉まり姿がなくなると、無言のままに回れ右をした。

 銀のラバーソウルの踵が、甲高い音を響き渡らせる。

 扉の近くで聞いていた司教は、コツコツといった音が遠ざかっていくと小さく息を吐いた。

「さて、どうしたものか------イルクナーのことは介意ではあるが------」

 ギルト司教は、祭壇に祭られてある{神翼の水晶(ラグナロク)}をうっそりとした目で見上げた。

幾許かした後で、手で触れてもみる。

「こうすることで答えを容易に引き出せればいいのだが、そう上手くいくまいか------」

そう理解していても、吸い付くように手を離さなかった。

 過去を思い出し、思わず呆けていたのだ。まだ司祭に成り立ての頃、得手する幻影術により魔獣を屠る度、一角の自信をつけていた。

 術の素地は、自身の幻を見せ、惑わしながら隙を突くというものだったが、次第には、幻の生き物まで作り出せ、思い通りに動かせ戦わせるまでになると、楽しみまで見出していた。

 巨大な幻獣でもって大いに戦闘に役立てる力は誇りでもあった。それから司教に至るまで、その力は衰えはしていない。

術がおかしくなるなどの異変は起こらなかった。それだけに、疲れからおかしくなったというイルクナー達の見解は眉唾ものと考えてしまう。

災厄を告げる前兆ではないかと頭をかすめ、憂心を抱いてもいた。が、憑き物を落とすように、言下に否定する。

「まさか、世界の破滅などありえんよ。ともなれば杞憂か------」

 眉を開いた司教は、肩の力がやんわりと抜けていた。それから、もう{神翼の水晶(ラグナロク)}にすがらなくてもと思い手を離そうとしたが、刹那、動揺が四肢を走る。

何故かそこから手が動かないのだ。焦燥からか拍動が激しく波打つ。

「どうしたというのだ! まさか私の憂いに応えて下さろうとしているのか?

 端緒たるものを? いやしかし、未だかつて幾度触れたとて一度たりとも、このような------」

 過去に、司祭かそうでない余人であっても{神翼の水晶(ラグナロク)}に触れても何も起こらなかったが、今まさに例外が起きようとしていることに思わず瞠若(どうじゃく)していた。だが、更に不慮の事態が続き、愕然とする。

 神翼の水晶(ラグナロク)から怪光が放たれるや、司教の体を包み込むのであった。

 痛みや苦しみはなかったが、畏怖の念から思わず叫喚した。

その声は誰もいない扉の向こう、礼拝堂にまで漏れ、残響に変わるやすぐに消えていった------。

 

 聖都カナイから小高い丘陵を越え、平原を抜けると、タルミの村が見えてきた。馬だと早く着けるが、人の足でも朝にでれば昼過ぎには来れる距離なので、わざわざ馬を借りるまでもなく訪れる人が多い。

 ニーサとミルナも馬は借りなかったが、そこには事情があった。ニーサはそもそも乗馬の経験がなく、ミルナに至っては、幾度目かに馬から振り落とされたため、ひどく敬遠していた。

 馬を遠目で見るのも嫌がっているほどだ。

 村に入ったときに、馬小屋をたまたますれ違った時には、これでもかというくらいミルナは早足になっていた。

「ミ、ミルナ、そんなに早くいかなくても、馬は襲ったりしてきませんよ」

「わかってるけど、見るだけでも嫌なんだ。ニーサだって、乗って振り落とされたらそうなるよ。着ているものもそんなだし、結構飛ばされるかもよ」

 ニーサは、白と赤色が綺麗にあしらったチュニックに、乳白色の短いローブを纏っているだけだった。

戦闘のときでも、常に援護にまわり後方にいるため、自然と動きを最優先した格好になるのだ。

「まあ、そんなこといって」

他愛もない話をしながら、歩みを進めていった。そうしているうちに、村の中心部まで来ると様相もやや変わってくる。

 陽が燦燦とするタルミの村の広場には、テーブルが出され、ばくち打ちや酒飲みが囲い、カード賭博の札が舞い踊っていた。その様子をニーサとミルナは、関心がないといった感じで通り抜けていく。

 一瞥もしなかった。一方で、通り過ぎているうちに、ばくち打ちが手を休め、ひそひそと声が聞こえていた。

「「おい、飲むのを止めて見てみろ。あの紋章------また司祭どもがきやがったよ」」

 ニーサとミルナの背を見ながら、隣の酒飲みの肩を軽く揺すっていた。揺すられた男は、ややにやけながら、ゆっくりと顔を上げた。

「「見りゃわかるぜ。しかしなんだなあ、ドルイドってのはどうも魔術ってやつで得してるようにしか思えないんだよなあ。

いいよな。大した努力もなしにおいしい思いができて」」

 訝しげにしながら、眉をひそめる。隣で聞いていた男は、諾いながら相槌を打つ。

「「違いねえ。だけどよ、あまり大声でいうなよ。

聞こえたら俺たちの首があいつらに掻っ切られるかもしれん、何されっかわかったもんじゃねえ」」

「「わあーってるよ。わかっちゃいるがだぜ。

 あいつら神のご信託かなんかしらんが、苦労知らずで特権階級につけるわけで、俺らなんかは、汗水働いても中流にも届かない」」

「「ああ、不公平極まりないよな。何せ、治安金と教会上納金でたっぷりもっていくんだから、さぞいい生活なんだろうさ」」

聞こえるよう大声で話しながら、鼻で笑っていた。その横を通り過ぎていたミルナが、我慢ならないといった感じで、回れ右をして引き返し、男たちに向かっていく。

「え?」

 ニーサは唐突のことで、一驚した声しかでなかった。ミルナは大股で男共の前まで来ると、怒号を上げる。

「ちょっとあんたたちさあ、さっきから文句ばっかたれてるけど、頑張って何かしてるように見えないんだけど? それに知ってるわよね?

 もし教会職につきたいんなら、神官になる道があるってこと。とはいってもあんたらみたいに昼間っから遊んでる人間にはなれないけどね」

 ドルイド教会は草莽から募る神官職というのがあったが、真面目に取り組んでいても簡単になれるものではなかった。

 まず修道院で修練を積み、敬虔さと教養が身についたと認められれば、晴れて神官見習いとなれるのだが、その間最低でも十年はかかるという険しい道であった。

 当然、厳しいとの意見は少なくない。ただミルナは、民が思っているような厳しさを仮に言い返されたとしても言わずにはいられなかった。

勝気な性格がそうさせたといって正しいだろう。一方の男たちは、司祭の強さに恐さを感じているというよりは、単にめんどくさそうだから絡みたくないといわんばかりに、すごすごと去っていった。

 小さく舌打ちもしている。射竦めるように見ていたミルナは、腰に手をやる。

「なんだ、根性なしか。ふふ、たまにはあーゆーのを蹴散らすのもいいね」

「もう、いけませんわ。でも、教会が門戸を開いているのは、わかってもらいたかったのですが。

 大変な道のりでも、努力には報いるのですけど------。人々には、それほど馴染みの薄いものかもしれませんね」

「そうだよ。馬鹿にはね」

「そんな言い方しちゃって駄目ですよ。余人を罵るは、罪に値すると教会の教えにもありますし」

「うんうん、そうだよ。だけどあいつらは別。

まずは人格みたいなものを説教しないと。あ、この辺じゃなかったけか、この村の修道院は」

笑いながら話すミルナは、村から少し外れに見える丘陵を見ていた。石畳の道を抜けようとすると、ニーサは丘の木々を指差す。

「おそらくあの木に隠れていますわ。以前来たときよりも、枝葉が大きくなって、遠くかですと見えなくなってしまいましたね」

 ニーサはミルナと共に、何年か前に病魔にかかった子供を、自身の療法の術により救ったことがあった。

そういった依頼もまれにあるのだ。ニーサは当時を懐かしそうに思い出しながら、修道院の入戸まで来て立ち止まる。

「先に訪れたイルクナーも村にいる気配もなかったので、ここにいるはずですわね。後は、誰かに声をかけなくては」

 辺りを注意深く見回す。修道院の戸までくると、年少の修道士が丸めた羊皮紙を抱えており、中へと向かおうとしていた。

「あ、おーい、そこの少年!」

 ミルナは繋ぎとめるかのように、大声ど呼び止める。修道士の少年は鷹揚としていて、びくりともせず振り向く。

「どうなされましたか? ------やや、もしやニーサさんでは?」

 少年の瞳には純朴な光が宿っていた。ニーサは最初、何故自分の名を知っていたのか検討もつかなかったが、すぐにかつて治療を施した少年と知る。

「え、もしかしてエランド?」

 出会った頃とはだいぶ変わった容姿に、幾分戸惑いを見せていた。それも無理はなかった。

 ニーサの腰丈ほどしかなかった子が、今ではニーサより頭半分ほど大きくなり、あどけなさはなく、凛としてる雰囲気から大人扱いしてもいいくらいだ。

「驚かれても無理はありませんね------あれから五年、僕も15になりましたし。ただこうやって修道士となった今、あのときのお礼をいえる機会を得られるなんて、僥倖としかいいようがありません」

 エランドはニーサと出会って以来、ドルイドに憧れを持つようになり、魔法は使えないが、ずっと関わっていきたいと修道士になる道を選んだのだ。勤勉な取り組みが認められ、一年前に見習いから修道士の位についている。

 そういったわけをニーサに伝えると、ニーサは驚きながらも喜びを隠せない。

「まあ! わたしがそんな影響を与えられたなんて、信じられません!」

「そのお陰で、昔は野を駆け回っていましたが、今では膨大な書物が僕の相棒です。

 知識が人々の役に立てれば、ドルイドに少しでも近づけるような気がして------」

 エランドは照れながらも、穏やかに微笑み一揖(いちゆう)した。こだまするように、ミルナも相好を崩す。

「さっきの馬鹿とは偉く差があるねえ。おっと、感心してる場合じゃないや。

 ちょっと用件があってきたんだけど、イルクナーって司祭が来てるはずなんだけどいる?」

 友達のように問いかけていた。ニーサはさり気なくミルナの方を向く。

「そうなんですが、最初にハースト神官にご挨拶しましょう、ミルナ」

 諫められるように言われたミルナだが、気分はあまり害していなかった。

 間違いを指摘されたというより、補填してくれたような気になるからである。

 大雑把でどこか配慮に足りない自分に、手を差し伸べられている感じすらあった。

ここにいる少年にも、慈愛の精神がそこはかとなくある。

「ではハースト様への室へとご案内いたします。それからイルクナー司祭でしたら、さきほどハースト様の薦めで、書物室へいかれました」

 生真面目さに、日頃の修練さが糾(あざな)った物言いをしつつ、こちらにといった手振りを見せた。お椀を逆さにしたような天井の通りを抜け、とある部屋の扉で足を止め、拳を作り軽く小突く。

 コンコンと乾いた音が小さく響いた。扉を忍びやかに開けると、そこは神官の赴きとは異なった室に見えた。

こじんまりとした部屋の隅々まで、絵画が飾られていたのだ。趣味に走ったという感じであり、敬虔深さというよりは、自由な空間という印象が強い。

牛皮でできたソファで本を読んでいた神官ハーストは、修道士と訪問者に気付くや、先に声をかける。

「おお、もしやまたも来客かね」

「ええ、この方たちは、あのとき私を助けてくれた方です。今日は、あの方に会いに来たようです」

「ん? おお、ニーサとミルナではないか? いやー見ないうちに大きくなって」

まるで孫にかけるような口ぶりになっていた。

「お久しぶりですわハースト神官。お変わりなくて何よりです」

「いやいや、最近はどうもかいがいしく動けなくてな。それにしても、これはいかがしたことかな。

 司祭殿が三人もタルミに訪れるとは珍しい」

 穏やかそうな顔つきと柔和な話しぶりのハーストは、白髪こそ目立つが、双眸は不思議と若々しさがあった。

「魔獣が襲うとの暗示があって、そのためではあるけど、大事ではないよ。

高だか獣一匹だからね。私たちは念のため」

 ミルナは肩をすぼめた。

「そのようなことであれば、難儀ではないな。ん、そうだ。

 せっかくきたのだから、絵でも見たらいい。何ならわたしが詳しく説明しよう」

 目を輝かせる神官に、ニーサはたおやかに首を振って応える。

「お気持ちはうれしいのですが、今回は遠慮しておきますわ。イルクナーに私たちがきた旨を伝えないと------」

 そういっているとき、扉がゆっくりと開かれていた。イルクナーが目を丸くしながら入ってくる。

「あれ? どうして------。もしかして司教に言われて?」

「正解。だけど、わたしたちはただの補佐。

要は司教様の親心」

 端的に話す。そのとき、扉が荒々しく開けられるや、蒼白した顔つきの修道士が、わなわなと震えながら声を出した。

「た、大変です!」

「何が大変だというのか?」

「ま、魔獣が現れて------それも村の人が犠牲に!」

 最後は振り絞るように言った。言下にイルクナーの顔が強張るや、修道士に詰め寄る。

「すぐに案内してくれ!」

 馬鹿なといった思いが、イルクナーの胸の中を駆け巡っていた。修道士は頷く間もなく慌てて走り出し、扉の先へと抜けようとしていた。

 こちらですと言ったきり、後ろを振り向かない。追いかけるイルクナーは、焦りで手が震えている。

(まさか日が一日ずれるなんて------)

 自分が傷つくならまだしも、村人の命が失われる------贖罪できない罪、そう頭によぎると暗澹としてしまう。それでも、一縷の希望を持ち、手に力を入れる。

 すべてが悪い方に向かっているとは限らないと言い聞かせて、修道士の背を見ながら走るのだった。が、燕麦が蓄えられた小屋を指差されるや、愕然とする。

 血の惨状といってふさわしかった。

突っ伏してる村人の顔は、牙で引き千切られ、噴出した血で誰だか判別がつかないほどになっている。

むき出しになっている臓器と、地べたに染まる赤がなお一層、凄惨さを引き立てていた。そのすぐ傍にいる魔獣は、死体の肉を平らげていた。

もう一つの顔は回りを見渡していたが、イルクナー達を認めるや、刹那に威嚇の唸りを上げた。

顔を強張らせ、開ける口から牙を覗かせる。そのような脅しなど事も無げに、ミルナは風の刃を魔獣に放った。

ためらいがかわされるだけでなく、命取りになりかねないと知っていたミルナは、冷酷になりきっていた。そしてこの速さが、功を奏す。

魔獣は何も出来ずに、四肢を真っ二つにされたのだ。絶命が見て取れると、修道士はすぐさま死体の傍まで近寄り、祈りを捧げた。

「主よ、かの人が安らかに天に召されることを------」

 鎮痛なる想いに、安らぎと救いを与えるような声であった。その隣にいたイルクナーは、修道士の声など耳にまったく入ってこない。

 自分のせいで、救える命を失ったと責めていたのだ。

その様子を間近で見るニーサもまたイルクナーの悲痛さを感じ取れてはいたのだが、声を掛けれずにいた。

どんな言葉でも今は役に立たないと思い、ただ見守るしかできなかったのだ。

index  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11