神々の破滅(ラグナロク)が異世界を救う!? 3/11

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 王都カナイの青空に浮かぶ羊雲は、森や草や人、石や煉瓦造りの家を俯瞰しながら、ゆっくりと流れていた。

教会の中央から突き出た塔からは、正午を告げる鐘課(しょうか)の音が、王都の街や城に喨々と響き渡らせている。

 空から降るように聞こえてくることから、祝歌(頭を下げている人々に祝福を与えるときに奏でるオルガンの音と重ねて)とも呼ばれていた。

 礼拝堂の中で聞けば、一層荘厳と聞こえるのだ。ただ今日に限っていえば、左隣の扉の向こうにある一室だけは空気感が違うために、妙に重たく聞こえる。

 部屋の内装はこうだ。縦長のテーブルに木椅子が並び、窓に飾られた一輪の花と暖炉のみが設けられている。

いわば話し合いをするだけの部屋だった。今まさに、司教や神官が椅子に腰掛けている。

三日前、タルミの村での件の審議と、他の一件のために集まってきたのだ。

 集まった陣容はこうである。当事者のイルクナーと、各地の村や町から代表して高位神官が二人、そしてロンデガン(主に王都から北の地区)とエシュバ(王都から東)から司祭を統括する立場の司教、ドリザエムとカジールより成り立っていた。

 教会の最高位にあたる四人だ。その中でも司教は絶対の権限を持つが、支都での役割はかなり異なっていた。

初老のドリザエムは、ロンデガンは国境付近に接していることから、異教徒の折衝はおろか、他国の干渉もかねている。

ある意味、小国の統治を任されているといって過言ではないのだ。一方で禿頭が目立つカジールの役目は、事実上特にないといっていい。

王都から遠いエシュバ周辺は、山地や森が少ないためか、魔獣の出現率が低くく、見習いの司祭が実習地として活用するだけの支都となっていた。そのことを揶揄するように、ドリザエムは本題から逸れた話を投げる。

「エシュバは相変わらずと聞くぞ------暇で羨ましい限りだ。もっとも貴公の研究とやらで、時間は潰せるだろうが」

 嫌味をたっぷり効かせた後に、薄笑いを浮かべていた。その様子を見ても、カジールは感情を逆なですることはなかった。

「まさしくそうだ。しかしだな、そのお陰でぬしらの役には立っているといもの。

 少なからず恩恵は受けているだろう?」

 カジールは変わり者として有名であった。

{神翼の水晶(ラグナロク)}より力を授かるときに浮き出る、文字盤の解読に努め、それなりに成果も上げていた。

枝のような文字にどんな意味が隠されているのかをつき止め、今では試験的に実戦でも使われているのだ。

「文字を刻んだ剣や鎧の強度は良くなっただろう?」

「ああ。だが、成功したからといって図に乗るなよ。

 あれしきのこと、仮になかろうと魔術でなんとかしてみせるわ。そもそも我々の本分は、術の鍛錬にあるといっても過言ではあるまい」

 話しぶりは傲然としていた。それを宥めるかのように神官の一人が口を挟む。

「いやはや、何とも頼もしい。それにしてもカジール司教は、どのようにして端緒を見つけ出したのですかな?」

「なに、簡単なこと」

 そういって、机に肘をつき手を組んだ。

「人によって浮き上がる文字が違う、後は彼らの特性を見ればよかったのですよ。仮に言えば、そうですね------」

 やや間を置いて応える。

「ミンス教会にいるミルナ司祭の文字であれば、風にまつわるものと類推できます。

切れ味とか軽やかさとか、そのような意味合いが隠されているのではないかとね。後は地道な作業です。

木板などに文字を彫って効果を試し続けると」

ふと漏らす溜息には、長年の苦労があったとの含蓄がある。その隣で聞いているドリザエムはどこか面白くなく、一喝するように断罪した。

「鏤骨の精神、ご立派。ただ、何のために集まったか忘れては困るな」

 先ほどの話しを一転させるあたり、明らかに苛立ち気味なのが手に取るように伝わる。ただし、カジールもまた気分を害していた。

 自身の研究を、些事のように切り捨てるような態度に、どういった想いでやっているのか貴様にはわからないだろうと、心の中で呟いていた。しかし、ここで水掛け論を始めても仕方ないとわかっているので、気持ちを切り替え、すぐに襟を正す。

「無論、忘れてなどおらぬ。して、いかようから論じ決するか」

「うむ、まずはギルト司教の件からにしようと思う」

 心なしか反論は許さぬといった風でもあった。と、神官の一人が堰を切ったかのように話し出す。

「そう、その件は一体どうなっているのですか?」

「行方不明としか申し上げられない。そればかりか、わたしもつい今しがた知ったばかりでな」

「わしも早馬で来た使いで知った程度だ。しかも使いの奴、ひどく狼狽しておったわい」

 目はうつむいたまま、わずかに肩をすぼめる。

「タルミより起きた惨劇を、どう贖うかをギルト司教に下してもらうはずが、おらなんだときた」

 イルクナーは高位の者に囲まれているせいもあるが、村人を見殺しにしたようなうしろめたさからうなだれていて、一言も発っせようとはしない。そんな様子などお構いなしに、ドリザエム司教は豪壮に話しかける。

「イルクナー、お前は何か知らぬか?」

「------わかりません」

「そうか、誰も知らぬとならば考えられることは3つだな」

 頭をすぐに切りかえる。

「まずは原因の追究。

 愛弟子の不祥を解明すべく、どこかへおもねいたと考えられる。ただタルミの件が起こる前、つまり三日前にはいなくなっていたとの情報があるからして、その間潜伏する意味は不可解だが」

「二つ目は?」

 カジールがせっつく。

「可能性は高いと見ているのが、これだ。

 二つ目は拉致されたか、暗殺されたかだ」

 腕を組み、険しい顔つきになっていた。

「王国関係か手の込んだ密者の仕業------捨て切れぬな。ギルト司教の力から拉致されるは、自らで何とかできそうだが、暗殺は不意を突かれる------とはあり得ない話ではない」

「三つ目はカジール、貴公も予想できるのではないか?」

「{神翼の水晶(ラグナロク)}か?」

「ふん、それ以外なかろう。もっとも、そうであればお手上げだが」

 思わず漏らす嘆息が、いつもより深い。

「そ、そんな------。ではこのまま手をこまねいて見ていろと?」

 神官はたじろぐばかりであった。

「そんなところだ。ただ意味合いが違う。

 もし{神翼の水晶(ラグナロク)}が発端なら、様子を見るという話だ」

「異議なしと言いたいが、ほれ、一手あるやも知れぬぞ」

 そう言うカジールは、顎でイルクナーを指した。

「夢見か------、そうだな------」

 思慮深くするドリザエムは、ふいに頬杖をついた。

「イルクナー、君は術の錯誤により、村人の一人を魔獣から守れなかったと受けているが、相違はないか?」

 唐突に呼ぶや確認を始める。

「ほぼ間違いありません」

「そうか。では何故そのようなことに?」

「------わかりません」

「不明とな。よし、質問を変えよう」

 頬杖をついていた手を離し、背筋を伸ばした。

「原因追求はともかく、人の命を失わせた罪を償いたいとは思わぬか?」

「まて!」

 カジールが焦りながら口を挟むと、沈み気味の眸をしているイルクナー以外は、皆きょとんとしている。

「意図的ならともかく、イルクナーはそうしたいわけではなかったのだ------それを罪と呼べるのか?」

「呼べる」

 断言したドリザエムは、こう語りだした。

「{神翼の水晶(ラグナロク)}から選ばれ司祭になった以上、仮に理不尽なことに見舞われたとて、それが責務から外れるということにはならないからだ。

 人の命が懸かっているなら尚更だろう。それに魔術が失敗したから許してくれと言えば余人に通じるかな?」

「------」

 頭をやや垂れ、無念そうに眸を閉じる。

 ドリザエムはカジールを射竦めていた。

「わたしだって、イルクナーが故意で行ったとは思っておらんわ。話は逸れたが、先ほどの質問の答えを聞きたい」

 しばらく沈黙の間があったが、イルクナーは声を絞り出すようにしていった。

「償えるものなら償いたい。だけどどうやって------」

「自分自身で見つけるのだな。だからこその採択を言い渡すぞ

 硬骨に物を言うドリザエムは、誰も口出し出来ないほどの威容でもある。

「イルクナー、貴殿はドルイド教会から追放を命ずる。------もし不服ならば、己で司祭である証を差し出せ」

 一拍間を置き、顎をしゃくる。

「意味はわかるだろうな? 

 こたびの件の真相を掴むのだ。ギルト司教の行方のみならず、不術の根源はいかようか{神翼の水晶(ラグナロク)}との関係性も含め解明してこい

 厳しい道になると思うが、ドルイドすべてに関わることと肝に銘じてほしい」

 もう言うことはないといった仕草で、手で退出を促すと、イルクナーは深深と頭を垂れ、粛々と室を出ていった。

 その一連の動きは、軍隊で訓練されたかのように恭しかった。がすぐに、風船の空気が抜けるように、いからせていた四肢を脱力させた。

 ニーサとミルナ、そして見習い司祭のエリアンが眉をひそめながら、駆けつけていたのだ。15になったばかりで、まだ少年ぽさが残る。

あどけなさが顔に色濃くあるのだ。しかしイルクナーが淡々と事の顛末を告げると、物憂げな表情へと変わる。

周りも息ができないような、張り詰めた雰囲気に一変していたのだ。

「そんな------、あまりに厳しすぎますわ」

 ニーサは一驚と哀しみが混ざった眸になっていた。

「ほんとだよな。で、でもさ、術も{神翼の水晶(ラグナロク)}のせいかも知れないし、ギルト司教も見つければいいんだろ?」

 ミルナは軽く振舞って元気づけようとしたが、自分でもこれは厳しいなと理解していたからか、ぎこちなさがここかしこに出ていた。

「楽勝だよ、きっと」

 最後は押し切るように言った。横ではエリアンが、イルクナーにどう声をかけていいのかわからず、ただ佇んでいる。

 悩むような顔つきもしていた。その様子を見かねて、イルクナーは自分から気を使った。

「ああ、今まで世話になった。エリアンに会えなくなると寂しくなるな」

 さりげなく挨拶を交わした。いわれたエリアンは、わざとらしく物悲しげな俯き加減を見せてきた。

「僕みたいなスターになると、そうさせてしまうんですね------。つらいですけど持っている人間の宿命として受け止めておきます」

 魔術を使えるとなると、こういうお調子者は必ず出てくる。だが、エリアンを嫌う者はいなかった。

 むしろ好かれていてるといっても過言ではなかった。

「教会の片隅で祈っています------イルクナーならやれます」

 作った拳から親指を立てる仕草は、気持ちいいまでに軽やかだった。

「あ、ありがとう」

 やや勢いに押されていた。けれど気分は良かった。

 重苦しいままで旅立つより、足取り軽く進めるからだ。だが調子に乗って、楽観視はしてはいけないとも思う。

これからは教会の後ろ盾もなくなるわけだし、目的に答えがあったとしても、それが都合のいいものとは限らないのだ。

「雲を掴むような話だが、なんとかしてみせるつもりだ。------どうやるかはこれから考える」

 考えなら本当はあったのに言えなかった。

 夢で見た男どもに拉致された娘を追いかけ助けるか、その造り主とも取れる女と接触を試と伝えたかったが、夢は現実とは異なり今に至っている身であり、無駄に不安を煽るのは避けたかったのだ。

 とても大口を叩けはしなかった。否、しなくともよかった。

 ドルイドとして生きてきた人間が、その力をまともに機能しなければ死んでいるも同然、死人に口など必要ないのだ。ならばやることは明白と、イルクナーは考えをよぎらせる。

(自分を生き返らせる秘薬は、不安定な夢想術を辿るしかないか------。しかも正解とも限らない。

 何だか出来損ないの賭けをしているみたいだ。でも------。

 この胸の中の高揚感はどこからきている? 結果次第では自分の命すら保証はないのに------。

あまりのことで神経がおかしくなったか------。いや、これはエリアンと接して前向きになっているだけかもしれないな)

よくわからない感情に無理矢理意味を見出すと、これ以上の長居は無用と回れ右をした。そのとき、ニーサが引き止めるかのように話しかける。

「ちょっと待って------。もし------もし私に何かできることがあれば、いつでもお声を掛けてください。

 きっと役に立てるはずです」

 言い切るニーサは、懇願するような感じで手を胸の方に組んでいた。イルクナーはその様を一瞥するや、わかったといった風に頷いた。

感謝の念も含まれているとわかるように、それらしい微笑も交えていた。

その様子を遠くから、ちらとしか見れないもう一人ドルイドの見習いがいた。エリアンと同い年の少女で名はサルミ。

夕日に照らされた小麦畑を思わせるような金色の髪と、湖のように透き通った水色の瞳との組み合わせから、将来美人になるに違いないともっぱらの評判だった。

惜別の場に居合わせられないのは、尚続く話し合いの給仕を担っているためである。

サルミは、りんご水の入ったデカンターを、幾何学模様が刻まれた透明のグラスに注ぎいれている。

 各々のグラスに入れる際、とくとくとくといったおいしそうな音が誰の耳にも入ってきていた。

 カジールの耳にも入ってきていたが、事も無げに話を切りだす。

「イルクナーの夢想術------これは運に賭けるようなものよ------。ところでだな。

 王家、特に騎士団の奴らの耳にはとうに入っているだろうに、我々教会にまだ押し寄せては来ぬのか? 攻撃するにはいい機会であろうに」

「ふん、時間の問題だろう」

 鼻息荒いドリザエムは、すげなく応えた。その様子にカジールは鼻で笑う。

「そうだろうが、悠長に構えているようにも見えるがね。

 連中といえば厄介なことくらい承知のはず------一筋縄ではいかんぞ」

 教会と王国騎士団は古くから犬猿の仲だった。

騎士団は何の努力もなしに得た力で、特権階級の地位にいるドルイドを、どこかお花畑に住んでいるような連中と見なしていたのだ。対するドルイド教会も、ことあるごとに避難してくる騎士団には辟易としていた。

「この前などひどかったな。------聞いておくといい」

 カジールは嘆息しながら、述懐した。

「20日ほど前のことだ。奴らは突然、何人かでうちの教会に押し寄せてきて、怒鳴り込んできおった。

お前らなどに魔獣討伐などやらせるより、我ら騎士団に任せておけばいいとな。それから回りの物を手当たり次第探り出し、貴公に渡した防具の失敗作を見つけ突きつけてきおった。

わしを射竦めながら言い放ってきたわい。国金の無駄遣いだ、意味がないとな。

騎士団は魔法の力もないのに討伐に励んでいる------こちらの方がまだいいとも付け加えてきたわ」

「ならば成功例を挙げればよかったのではないか?」

「勿論言ったが、一蹴されたわ。むしろ問題はそこよ。

 何と言ったと思うか? 驚きだったわ------口答えするなとほざきおった」

 カジールが肩を窄めている中、黙っていた神官がここで口を開く。

「気違いだ!」

 神官は目を剥いていた。カジールは頷きながら、言葉を引き取る。

「あれはやや異常だともいえるな。それでも貴公は、言いくるめる自信がおありか?」

 ドリザエムの方に向き直しながらいった。

「普段、異教徒らの折衝もあるから、それなりにはあるな。それにその件は、虚を突かれたものではないか?」

 すっと顎に手をやった。

「騎士団は魔獣を駆逐しようとしているが、おぬしは直接は何もしていない。

 弱みに付け込むとなると連中は得意分野だからな。他の教会ならそうはならなかったであろう」

「それでも酷すぎませんか?」

 目を剥いていた神官は、憮然とした顔つきになっている。

「だからこそ話し合いをしなくてはならないのだ。

 本質的にはどのような連中なのか、見極めるためにな」

 厳かにいった後には、口元が真一文字に結ばれていた。

カジールはといえば諾(うべな)う姿を見せているが、生半でもあった。

 ドリザエムを見ているのに、どこか別方向に逸れているような双眸が、意味深げに存在しているのであった。それからすぐに席を立つ。

「どこへいく?」

「気分転換に散歩だよ」

 にわかに笑みを浮かべながら、カジールは部屋を出て行った。

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